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| 病める月 |
| ちょこっと読み
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| 夜の空港は静かなざわめきに満ちていた。 砂漠に浮かぶ、ガラスの宮殿のような空港の中で、夜景を楽しみ、茶を啜り、それぞれの最終便をゆったりと待っている。誰もこの先数時間後に起こる出来事のことなど想像もせずに、自分たちのこれからの旅のことに思いを馳せている。 この人たちはどこで自分の故郷での出来事を知るのだろう。旅先のホテルか、街中のテレビか。そして和季もまたどこでそれを観るのだろう。乗り継ぎのための空港か、それとも日本に帰り、自宅のテレビで遠い国で起こった出来事として、ニュースで眺めることになるのだろうか。 搭乗のアナウンスを待ちながら、ぼんやりとそんなことを考え、和季は空港内のカフェテリアにいた。 「時間通りに飛び立つようです」 車を止め、荷物を運んできたナジムが向かいの席で言った。 テーブルの上には予め用意された搭乗券。それから王に仰せつかったとドルの入った封筒と、小さな箱が乗っていた。 「……そろそろ。搭乗口へ行かれたほうがよろしいかと」 ナジムが立ち上がった。何も考えずにそれに続き、手荷物用の鞄を肩に掛け立ち上がる。 広々とした通路を二人とも無言で歩き続ける。和季の乗る飛行機の搭乗口に近づいたとき、案内を知らせるアナウンスが聞こえてきた。チェックカウンターの前にはすでに人が並んでいる。 「それではお元気で。いつかまたエルーガを訪れてください。きっとこの国は変わっていますよ。王の望んだこの国の未来をしっかりとご覧になってください」 ナジムが笑顔で言う。 「はい。必ず。どうか王が無事でありますよう。ナジム、王を守ってあげてください」 固い握手を交わしながら和季が言うと、ナジムは泣き笑いのような表情を浮かべた。 「残念ですが。私はもうアーキル様にお仕えすることができません。私は今日、あの白砂漠で解雇されました」 真っ直ぐに和季を見つめる目は、慰めるように細められている。 「あなた様を無事に日本へ帰すようにと。それがアーキル様の私への最後の命です」 ユリも、その他の使用人もすべて、今日のうちに解雇されたのだという。 「それじゃあ、今王の側には誰が……?」 和季の問いに、ナジムは曖昧に首を振るだけだった。 砂漠の中の見えない檻に囲われていたアーキルが、あの鮮やかな布を纏ったまま、本物の暗い牢獄にひとり閉じ込められている姿が浮かんだ。 再び場内アナウンスが流れ、人々が和季とナジムの横を通り過ぎる。 「さあ、和季様」 ナジムの顔を見返す。彼もまた、途方に暮れたような表情を浮かべ、和季を見返してきた。 さあ、ともう一度促され、人の波に入れられ、流されていく。足取りは重く、すぐにでも踵を返せるのに、和季はその波に乗ったまま、ただただ流されていた。 順番に並ぶ人の後ろにつき、ゲート前に近づいたとき、もう一度振り返ると、見送った場所から動かないナジムが手を振った。小さく振り返し、ポケットにある小物を出そうと手を入れると、指先に小さな箱が触れた。 銀の三日月。星がひとつ付いている、王の贈り物。 アーキルと出会った日、浮かんでいたのは三日月だった。空いっぱいの星たちに寄り添うように浮かぶ月を、子供の爪のようだと思った。今日の月はそれよりも少しだけ大きくなった半月だった。やはり先に上がった金星を追いかけるように昇っていた。 満月を見せてやりたいと言っていた。いつか。五年後か十年後、また来ることがあれば是非に見て欲しいと、言っていた。 月を仰ぎ見た、そのどちらのときも、隣にはアーキルが立っていた。次にこの地で空を見上げたとき、和季の隣には誰がいるだろうか。 行きかけた足が止まる。 最後に見た、別れの光景が蘇る。白の大地に立つ姿は夕焼けのように鮮やかで、笑う顔は月のようにやさしく、それが最後の瞬間、くしゃりと崩れた。 楽しかったと。 和季に逢えて――自分の運命を恨んだと。 このまま別れて、王はまた自分ではどうしようもない運命に流されていくのか、たったひとりで。 急に止まってしまった和季の背中に、後ろに並んでいた人がぶつかった。 嫌だ。 ぶつかってきた人に先を譲り、反対側に足を踏み出す。 あれが最後だなんて、絶対に嫌だ。 人の波を逆流するように歩く和季を周りの人が見送っている。和季の姿の消えるまでを見届けようと、その場に立っていたナジムの目が見開かれている。 「和季様」 帰ってはいけない。今ここを出ていけば、もう二度と王には逢えないのだ。五年後に来ようが十年後になろうが、たとえ半年後にやってきても、アーキルに逢うことは、きっと叶わない。 「どうされたのです、和季様」 今すぐに逢える方法など分からない。だけど、この先彼に逢える方法は、ここから出ていってしまったら、完全になくなってしまうのだ。 「病める月」本文抜粋より offlineに戻る |
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