INDEX
冬の麒麟と不遜な鸚鵡
「……寒いな」
車から降りたアーキルが、身震いをして肩を竦めた。コートの上にブランケットを羽織り、それでもまだ足りないようだ。
 曇天の下、風は冷たく、足元は霜で薄っすらと白い。足を踏みしめる度にギュ、ギュ、と音が鳴るのをアーキルが確かめている。
「行きましょうか。ここは日陰だから、中に入ったほうがきっと暖かい」
 和季の声に頷き、アーキルが毛布の下から手を出した。ひんやりと冷たい指先を温めるように握り、鉄の門の奥へと入っていく。
 ノーランド国王との謁見を済ませた帰り道。アーキルと和季の二人は、動物園に寄っていた。
 ここノーランド王国に移り住んでから二ヵ月と少し、もうすぐ十一月の声を聞く。アーキルの故郷では、未来への扉を開けようと、今も皆必死に戦っている。
 遠くの空から故郷の情勢を眺め、祈ることしかできないアーキルは、淡々と毎日を過ごしていた。
 ノーランド王国はエルーガの国王の亡命申請を受け入れたと声明を出し、アーキルの護衛はより強固なものとなっている。『類まれな愚か者』を見物しようとする世間の目は無遠慮で、側にいる和季ですら神経が参るような騒ぎの中でも、アーキルは端然としていた。
「生き恥を晒すことを決めたのだ。どうとも思わない」
 王族の犯した罪をすべて背負い、命を捧げることを覚悟したエルーガの王は、国を捨てて逃げた背中を世界に晒し、非難を浴びながら、それでも生きることを決意した。
 それは国に一人残り、アーキルの意思を継いで、エルーガの未来を変えようと奮闘している弟、イクリードとの約束だった。彼もまた、兄である国王を玉座から引き摺り下ろした反体制派のリーダーとして、今は『氷の革命者』と世間で呼ばれていた。
「和季がいるからな。私は幸福だ」
 月の笑みを浮かべ、アーキルが言う。軽蔑と好奇の目に晒され、亡命者という自由のない身であっても、アーキルは今が幸福なのだと言って笑うのだ。
それでも厳重に警備された中での生活はなかなかに窮屈で、今日の外出も久し振りのことだった。事業を起こすための準備も未だ水面下で、派手な行動を起こせないアーキルは、我慢の日々を強いられていた。
「なに、いずれ風が変わる。それまで大人しく待っていよう。私は気が長い」
 長い時間を掛けてイクリードと二人、エルーガの未来のために努力を重ねてきた。これぐらいの不自由は不自由のうちに入らないと、アーキルはゆったりと構えていた。
 そんなアーキルのために動物園に寄ろうと和季が提案した。この国に訪れて間もない頃、やはり国王に会いに行く途中の道にあった動物園の看板を見つけたアーキルが、声を上げたのを覚えていたからだ。
 エルーガにも大きな動物園があるが、幼少の頃数回訪れただけで、成人してからは行くこともなかったと、そう言って懐かしそうに目を細めたアーキルのために、今日は寄り道をしようと誘ったのだった。
「随分と寂しいものだな」
 園内は人もまばらで、外に出ている動物も少なかった。
「今日は寒いですからね。寒さに弱い動物は、館内に入れているのかも」
 曇り空の下、広い園内をゆっくりと観て回る。SP数人に囲まれての見学だったが、アーキルは目を輝かせ、柵にいる動物たちを眺めていた。
「王宮にオウムがいた」
 鳥舎に入り、色とりどりの鳥を見ていたアーキルが不意に言った。
「オウムですか?」
「そうだ。父が可愛がっていた。私が生まれる前からいたから、もう三十年は生きている」
「へえ。長生きなんですね」
「ああ。オウムは百年生きるというぞ?」
「そんなに?」
 驚く和季にアーキルが楽しそうに頷いた。
「乳白色に紅を散らしたような美しい鳥だった。大きいぞ。羽を広げるとこれほどになる」
 腕を広げ、アーキルが宮殿にいたオウムの大きさを教えてくれる。
「言葉も話した。頭のいいオウムだった。子どもの頃はよくそれと遊んだ。あれは私より年上だからな。なかなか生意気な鳥だった」
 父親である前国王に懐いていたオウムは、王子のアーキルに対して不遜な態度だったと、アーキルがまるで幼馴染みのことのようにオウムを語る。学校に通わず、同年代の友人を持てなかったアーキルにとって、それは貴重な遊び友だちだったのだろう。
「今は誰が世話を? まだ王宮にいるんですか?」
 和季の問いに、アーキルは微笑んだまま「いや」と首を振った。
「イクリードの元にいる。父が亡くなった時に、オウムも元気をなくしてな。なんとか手元に置いて元気づけようとしたのだが、私では駄目だった」
 飼い主を失くし、餌も食べなくなり、後を追うように弱っていくオウムをただ見守るしかなかったのだが、時々訪れるイクリードには何故か反応し、弟が与える餌は食べたのだという。
「何か感ずるものがあったのか。私といるよりイクリードの元へいたほうが元気になるから、あれのところに移動させた。今も元気でいるようだぞ」
 極彩色の大きな鳥を見上げる横顔が笑っている。
「会う度にオウムは元気かと聞くと、あれは生意気だとイクリードが言っていた。毎日喧嘩をしていると言って、怒っていた。イクリードも私と一緒でオウムよりも年下だからな。父がいなくなった今、オウムは自分のほうが飼い主だとでも思っているらしい」
 声は屈託なく、自分では駄目だったと、やむなく手放した旧知の友人のことをとても楽しそうに話す。元気でいればいいと、自分でなくてもいいと、アーキルは遠くからオウムを慈しむ。
「いつかまたそのオウムに会えるといいですね」
 和季の声を聞いたアーキルが、目の前にいる鳥を見上げたまま目を細めた。
「だって百年も生きるんだから。きっといつか会える時が来るよ」
「そうだな。いつか……オウムに会いたい」
 そう言って和季のほうに顔を向け、アーキルが微笑んだ。


 鳥舎を抜け、別の建物に入る。寒さに弱い動物たちが冬の間に過ごす場所のようだった。
 北欧の冬は厳しく、多くの動物たちが長い冬をここで過ごす。広い館内は獣の匂いが充満していたが、アーキルは意に介さないというように、一つ一つの檻を丹念に観て回った。
 動かないカピバラを辛抱強く眺め、キツネザルの愛らしい動きに笑っていたアーキルが大きな檻の前で足を止め、動かなくなった。広い空間にキリンが一頭だけ静かに立っている。
 のどかな顔をしながら小屋の奥に佇んでいたキリンが、ゆっくりと近づいてきた。檻の前でアーキルが腕を伸ばし、掌の上にあるものを覗こうとするようにキリンが頭を垂れる。
「お前はここに一人でいるのか?」
 まるで人間に話し掛けるようにアーキルが声を出した。
「仲間はどうした? お前はたった一人でここに連れてこられたのか?」
 呟きのような声は低く、小屋に一頭だけで佇んでいるキリンのことが、心底心配そうだ。
「ただいま妊娠中で、出産が間近に迫っているので、隔離しています」
 護衛と共に付いて回っていた動物園の職員が説明をした。言われて目を向けてみると、確かにキリンの腹が大きく膨らんでいる。
「他のキリンは今、外にいます。案外寒さに強いので。日中は外でも平気なんですよ」
「そうか」
 アーキルが安心したように微笑んだ。
「もうすぐ生まれるのだな」
 大きな目を伏せて首を動かすキリンは、アーキルの声に頷いたように見えた。
「つがいがいないのは可哀想だからな。ちゃんと家族がいるのか。それはよかった」
 相変わらず掌を覗くように頭を垂れているキリンに向かい、アーキルが「もうすぐ皆に会えるぞ」と、慰めるように言った。
 優しい表情をしたキリンが、アーキルをじっと見つめている。見上げるアーキルも、あの月のような笑みを浮かべていた。
 午後の時間をゆったりと動物園で過ごした。寒いと悲鳴を上げていたアーキルだが、毛布を被ったまま園内を隈なく回り、和季の心配を余所に、まだ帰らないと駄々を捏ねた。
 温かいココアをもらい、それで手を温めながら園内を歩く。さっきのキリンの家族が見たいと言って案内され、長い時間それを眺めていた。
 入った時は寂しいと感じた園内も、奥へ行ってみると存外に動物がたくさん外に出ていた。
「暑い地域からやってきた動物も、けっこう寒さに順応するものなんですよ」
 冬には毛皮を厚くし、寒さに負けないように太り、体温を保つために活発に動くのだそうだ。
「何処へ行っても、案外逞しく生きていけるものなのだな」
 感心したようにアーキルが頷き、嬉しそうに笑った。
 曇天の下に立つキリンたちは悠々としていて、寒さなどまるで感じないように、のんびりと草を食んでいた。


「身体は平気? 熱なんか出さないといいけど」
 長時間動物園で過ごし、寒さにまだ慣れていない身体で風邪を引くのではないかと心配する和季に、アーキルは平然と笑った。
「大丈夫だ。この国の冬に私はもう慣れたぞ」
 まだ本格的な冬にもなっていないのに、アーキルがそんなことを言って威張っている。寒い寒いと連発してコートに毛布まで着込んでいたくせにと苦笑が漏れる。
 日が落ちるまで動物園で遊び、二人の住む部屋へと帰ってきた。食事を済ませ、通いの執事が帰ると、いつものように二人きりの時間が訪れる。
 夜の支度をし、早速アーキルによって和季はベッドに連れ込まれていた。
「身体が冷えた。早く温めてくれ」
「今、大丈夫だ、慣れたって言ったばっかりなのに」
 自分を組み敷いている人を軽く睨むと、アーキルがおどけたように片眉を上げた。
 唇が下りてくる。
「……ん」
 軽く合わさり、離れないままアーキルの顔が傾く。舌であわいをなぞられ、素直に開いていく中に、熱い舌先が入ってきた。
「は……、ふ」
 唇も舌も、肌を撫でる掌も熱い。
「熱があるんじゃない? いつもより熱い気がする」
 上にあるアーキルの首筋に手を当て、熱を測る。しなやかな肌が掌に吸い付き、撫でられながらアーキルが目を細めた。
「大丈夫だ。私はそれほど弱くはないぞ」
 和季の心配をアーキルが笑う。
 強く激しい気性を持つ恋人は、それ以上に我慢強いことも知っている。プライド高く、滅多に弱音を吐くことをしないアーキルのために自分が気遣わなければと、気位の高い、端整な顔を見上げた。
「熱などない。熱に浮かされていると言えばそうだが」
 漆黒の瞳が近づき、甘い言葉とキスをくれる。
「……ん」
 肌の上を滑る掌に反応し、身体が波打ちだす。
「お前の身体も熱を発しているようだぞ?」
 柔らかい愛撫を受けるうちに、アーキルの掌が冷たく感じるほど、自分の体温が上がっていくことを自覚させられた。
「あ……ん、アーキル」
 首筋に当てていた掌を動かし、逞しい首を抱く。引き寄せ、キスをねだり、もっと深い官能を欲して声を上げた。
 和季の欲念に応え、アーキルの手が蠢く。胸の粒を捕らえ、下りてきた唇で転がされた。
 癖の強い黒髪に指を差し入れて、そうされるのが嬉しいと伝える。甘噛みされ、舌先で擽られ、それから強く吸われた。
「あ、あ……、は……」
 背中が浮き、アーキルの唇が胸先を迎え入れる。胸の愛撫を受け入れながら、刺激をもらえない下半身が疼き、ますます身体が波打った。
「ぁ、……や、アーキル……」
 不意にアーキルが身体を起こし、和季が抗議の声を上げると、見下ろしてきた瞳が笑った。
 焦らされるのは嫌いだ。だけどその後にもたらされる官能を知っている身体が、刺激が去ったあとも勝手に波打ち、その姿を恋人が眺めている。
「……アーキル、もう……」
「脚を開け」
「……嫌だ」
 意地悪な命令に刃向うが、アーキルは笑みを浮かべたまま和季の降参を待っていた。
「やだ。アーキル……、あ、嫌だ」
「何もしていないのに感じているぞ? ほら……」
 ツ、と指先が内腿を撫でると、ヒクンと和季の中心が跳ね、蜜を零していった。
「もっとよく見せろ、和季」
「や……ぁ、あ……」
 口で抵抗しながら、だけど命令通りに脚が開いていく。視線に促され、熱を帯びた中心が育っていき、先端からはしたなく蜜液が溢れ出た。
「……もっとだ。すべて見せろ」
「ん、……ん」
 唇を結び、羞恥に耐えながら言われた通りにする。膝を立て限界まで開いた。花芯は完全に育ちきり、茎を伝う自分の愛液にさえ感じ、震えながら甘い溜息を吐く和季を、アーキルが観賞している。
「ああ、和季、素晴らしい。美しいな……」
 恋人が褒めてくれる。それが嬉しく、声が上がった。
「アーキル……、あぁ、アーキル」
 言葉と一緒に内腿にあった掌で褒めてもらう。素直にすべてを曝け出し、震えながら温かい感触の褒美をもらっていた。
 アーキルの身体が沈む。掌よりも更に熱く、柔らかいものが触れてきた。
「……っ、ああっ、あぁあ……っ」
 アーキルが和季の熱を含んでいた。溶けそうな熱さに翻弄され、泣き声が上がった。
 柔らかく、湿った感触に包まれる。聞こえてくる水音が恥ずかしく、それ以上に気持ちがいい。すすり泣く和季を宥めるように掌で撫でられ、鈴口に当たった舌先で擽られた。
「ああぁ、もう……だめ、だ……めぇ……」
 絶頂に向かいそうになるのをすんでのところではぐらかし、アーキルが愛撫を繰り返す。何もかも忘れて突き上げたいのに、躱され、含まれ、また連れて行かれては止められる。
 執拗に口淫を施しながら、長い指を這わせていく。大きく脚を開いたまま露わになっているそこへ、指が埋め込まれた。
「ああっ……は、あぁ、っ……あ――っ」
 目の前が赤く染まり、絶叫するがまだ解放を許してもらえない。アーキルの頭を抱いていた指は、いつの間にかきつくシーツを摑んでいた。首を振りながら拷問のような快楽から逃れようと身体を摺り上げる。唇が離れ、指が深く入り込む。
「あっ……」
 逃げたのは自分だ。アーキルが和季を見下ろす。目には妖しい光が宿り、和季を見守っている。
「……どうした?」
「もっと……」
 観念して目を閉じ、身体の力を抜いた。
「アーキ……、んん、んぅ……アーキル……」
 身体を開き、すべてを投げ出し、欲しいと哀願する。漆黒の目が細められ、僅かに白い歯が覗いた。
「そうか。欲しいか」
「あぁ、ん、アーキル、お願い……、アーキ……っ、あぁあっ」
 中を占領していた指が抜かれ、突然アーキルが入ってきた。ズン、と撃ちつけるような衝撃のあと、目の前が真っ白になった。
「ああ、ああっ、ぁあ、……ああ」
 乱暴な仕草でアーキルが律動を始める。声を上げ、のたうっている和季を見下ろし、尚も腰を打ちつけてきた。
「ああ」
 アーキルが息を吐く。最奥まで打ち込まれた楔がズルリと抜け、もう一度入ってくる。繰り返し抜き差しされ、速さが増していく。
「和季……」
 悦楽に翻弄されながら、応えようと目を開けた。僅かに眉を寄せ、愛しげに見下ろし、揺れていく顔が綺麗だと思った。
「アーキル……、あ、……アーキル」
 和季の声に応え、アーキルが身体を揺らす。両手を繋いだ。指先が熱い。アーキルが揺れ、和季は声を上げる。
「欲しいものは得たか……?」
 優しい問いに笑んだまま頷く。
「私もだ」
 絶頂の兆しに身を委ねながら、白く煙っていく意識の中で、アーキルの声を聞いた。


 さらりと頬を撫でられ、目を開ける。
「ん……」
 顔を覗いてきたアーキルが、おはようのキスをくれた。
「湯の準備ができたぞ。和季、入ろう」
 腕を引っ張られ、緩慢な動作で身体を起こした。腰が重く、間接が痛い。
「ちょっと……待って」
「どうした?」
 あれだけ激しいことをしたのに、アーキルに変調はないらしく、不思議そうに覗いてこられ、その顔を睨んだ。
「あっちこっち痛いんですよ」
「そうか。一日中歩き回ったからな。疲れたのかもしれない」
 この怠さはそんなことが原因ではないのだが……。
 ギシギシいう身体を労わるようにそっと動いていると、不意に抱き上げられた。
「うわ……っ」
 横抱きにされ驚いている和季を、アーキルがバスルームに連れて行く。
 泡の浮いたジェットバスに入れられた。和季を抱いたまま、アーキルも一緒に入っている。 
 和季を膝に乗せ、肌の上を撫でるようにして泡で洗ってくれる。指先を揉み、マッサージをする行為は、洗うというよりもじゃれついているといったものだ。それでも大人しくアーキルに面倒をみられながら和季は笑ってしまった。
「何か楽しいことでも思い出したか?」
 自分にも教えろと、首筋にキスをしながらアーキルが言った。
「いえ、この状況をナジムやユリが見たら驚くだろうなと思って」
 ベッドからバスルームまで、和季は一度も床に足を着けていない。
 王自らが和季のために風呂の準備をし、ここまで運び、身体を洗ってくれているのだ。エルーガにいた頃なら想像もつかないことだと思う。
「ナジムがいたら飛んできて、アーキルに何をさせるのかって叱られそうだ」
「生涯の伴侶に尽くすのは当たり前だろう。私は楽しんでやっている」
 和季の声にアーキルが笑って言った。
「お前は私の宝だ。大切にすると誓った」
「……うん」
 国を追われたアーキルに寄り添い、和季も自分の故郷を捨てた。親兄妹とも旧知の友人とも別れ、アーキルと共にいることを決めた和季に、アーキルも生涯掛けて応えようとしてくれている。
「あのキリンは妻のところに帰ったか」
 今日訪れた動物園で会った身重のキリンをアーキルが心配している。
「そうですね。夜は中に入るだろうから、今頃一緒に寝てるかも」
「つがいは一緒にいないといけないからな」
 手で掬ったお湯を和季の肩に掛けてくれながら、アーキルが言った。
「生まれたら、また見に行きましょうか」
 和季の誘いに、アーキルがゆったりと笑う。
「そうだな。見たいぞ。キリンの赤ちゃん」
 いつ生まれるだろうか。その頃には雪が降っているだろうか。今のこの生活にも、何か変化が起こっているだろうか。アーキルの故郷に、平和は訪れているだろうか。
 未来は刻々と変化し、予想もつかない。
 ここノーランドの地に降り立ってから、アーキルは様々な体験をし、いろいろなことを覚えた。生まれて初めての海を見、もうすぐ雪を見ることになるだろう。
 今のアーキルは、自分でお茶を淹れ、恋人のためにバスルームを整える。護衛付きではあるが、動物園にデートに行き、手を繋いで歩いた。
 今日までのことをエルーガにいるナジムたちに伝えたら、どんな顔をするだろう。
 明日は何が起こるのか。それはどんな素晴らしいことなのか。そしてその瞬間、和季はアーキルの一番側にいて、分かち合うことができるのだ。
 いろいろな体験をさせてあげたい。今まで望んでも得られなかったすべてのことを。一度は捨てる覚悟をした命を、説得という形で繋ぎとめた。その機会を命がけで作り、今もアーキルの意思を継いで戦っている弟にも、いつか会わせてあげたい。
 あの日命を救われた。そのお陰でどれほど今が幸せなのかを、彼に教えてあげたい。
「ねえ、アーキル。アーキルが飼っていたっていうオウム、なんていう名前?」
「ん? ああ、あれか。あれはな……」
 そして和季も会ってみたいと思う。アーキルよりも年上で、アーキルよりも威張っていたと言う、乳白色に紅を散らした美しい鳥に。



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