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あの日たち
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『雨によるスリップか? 乗用車と路線バスが衝突横転 十八名死傷』

七月八日午前七時過ぎ、S市県道の交差点で、右折する路線バスに乗用車が衝突。乗用車はそのままガードレールに激突し、バランスを崩したバスも横転した。乗用車を運転していた男性、上野武さん(六十歳)は頭などを強く打って病院に搬送されたがまもなく死亡。バスの運転手も胸を強く打ち重体。乗客十名も重軽傷を負った。当日は激しい雨が降っており、見通しが悪く、バスが直進してきた乗用車に気づかずに右折し、ハンドルを切り損ね横転した模様。乗客は折り重なるようにして横転したバスの窓部分などに叩き付けられ、全員が重軽傷を負い、近くの病院に搬送された。うち、会社員の斉藤弘人さん(二六歳)と、大学生の三好眞治さん(二十歳)が意識不明の重体。

        *

 自動ドアが開き一歩踏み出すと、纏わりつくような熱気に包まれた。
 陽はとっくに落ちたはずなのに、温められたアスファルトは、昼からの温度を保ったまま、地上に熱を放出し続けている。
 それでも冷房に冷やされていた身体は、その暑さに一瞬だけ、ホゥ、と弛んだ。夏なんだからやはり暑くなくてはいけない。そう自分に言い聞かせ、建物の横からはき出される室外機の熱風を、早足でやり過ごしながら帰路についた。
 手にぶら下げたスーパーの袋を持ち直す。
 今日は僕が夕食当番だった。
 大学生の眞さんは、今日はアルバイトだった。先輩に頼まれて、臨時で駆り出されているらしい。どこかのコンサートホールでの搬入とセッティングだと言っていた。普段、決まったところでバイトをしていない眞さんは、こういう時によく声を掛けられる。肉体労働が多いが、若いし健康だから、苦にならないらしい。お金も結構いいしね、と悪戯っぽく笑っていた。
 それなら先輩達と終わった後に飲んでくるだろうと思ったが、彼は帰ってから一緒に食べようと言ってくれた。だから僕は今こうして仕事帰りに夕食の食材を買っている。
 本当はこの暑さなので、僕の方はさっぱりと麺でもすすりたいところだが、腹を空かせた眞さんはガッチリしたものがいいだろうと、肉を買ってきた。メニューは豚肉の生姜焼きとサラダだ。僕だけならこれで充分だったが、ちょっと考えて唐揚げも追加した。もちろん総菜売り場で買ったものだ。僕だって別に料理が得意だというわけではない。
 当番制の食事も、大概は肉を焼くか、野菜を加えるか、鍋で煮るか、そんなものだ。今日は生姜焼きだけど、明日はきっと醤油焼きだろう。
 眞さんは何にでも最後には醤油を入れて誤魔化そうとする。そうでなければ市販のタレを野菜と炒めるか。どちらにしても代わり映えのしないものになるに違いない。
 僕は料理が得意ではないが、眞さんは料理が苦手だ。食べるのは大得意だが。
 そんなことを考えて、一人ニヤニヤしながら帰り道を辿っていてふと、あ、ビールがもうないや、と気が付いた。
 さっきのスーパーで買っておけばよかった。だけど暑いし引き返すのは面倒だった。コンビニで買うと高いんだよなと思いながら、それでも仕方がないから途中にあるコンビニに寄ることにした。
 店内に入ると冷風が吹いていた。涼しい。
 多少高くついても、やっぱり近くにコンビニがあるのって便利だよな、と現金なことを考える。駅から続く坂道は、重い荷物を持ったまま上るには、この季節、特につらい。
 店はガランとしていて、僕の他には立ち読みをしている客が一人いるだけだった。
 片手に通勤鞄とスーパーの袋とコンビニのカゴを無理矢理ぶら下げて、ビールの並んだガラス扉の前に立った。
 僕の方は小さい缶が一本あれば充分だが、眞さんはきっと帰って来てすぐ飲みたがるだろう。五百ミリリットルが三缶もあれば足りるかな。荷物も多いし、今度まとめて二人で買い出しに行けばいい。あんまり飲むと、眞さん眠くなっちゃうから。そしたらつまんないし。
 それに酔うと、眞さんちょっと洒落にならないことになるから。
 一人顔を赤らめて、ビールをカゴに入れていると、自動ドアが開いて新しい客が入って来た。
 二人連れらしい客は明るい声を出しながら店内を廻っている。
「えー、ハル君またカップラーメン?」
 女の子の大きな声で、ああ、あのカップルかと見当がついた。
 彼らとはよくこの近辺で遭遇する。駅への道で手を繋いで歩いているところや、近所の居酒屋に並んで入っていく姿を見かけたこともある。とても仲のいい、微笑ましいカップルだ。
「今これのシリーズに凝ってるんだよ。お、これ旨そう。チーズトマト味だって」
「ゲー」
「何だよトマトなめんなよ。栄養あるんだぞ。赤くて強いんだぞ。カロチンだぞ」
 彼氏がトマトの強さを力説して、彼女がケラケラ笑っている。
「強いのは分かったから。他のも買おう? いっつもカップ麺じゃ栄養ないって。ほら、総菜ちゃん。唐揚げあるし」
 彼女の声が総菜売り場に移動している。
「あとうまい棒。キャベツ味。あ、チーズ味もあるよ、ハル君」
 うまい棒じゃ栄養摂れないよ。カップ麺に総菜の揚げ物もどうだろう。
 彼氏の身体の心配をするなら作ってあげたらいいのにと、僕の余計な心配を他所に、二人の声は、楽しそうに店内を移動していた。
 コンビニを出たら、道の正面に大きな月が浮かんでいた。
 さっき歩いていたときには全然気づかなかったのに。
 雲が切れて顔を出したのか、それとも僕の方が考え事をしていて俯いていたからなのか。
 空に浮かぶ月は大きく、丸く、まるで夢の世界のようだ。
 最近はこの辺の空気も濁っていて、夏の暑さも加わり、こんな風にはっきりとした月を見たことはなかったなと、家へと続く坂道を上りながら、ぼんやりと考えた。


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