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あの日たち
2


 メールで知らされていた時間通り、眞さんが帰ってきた。その時間に合わせ、ご飯も炊き上がっていた。
 ただいまと僕の部屋に顔を見せたあと、眞さんは着替える為に隣の部屋に一旦入っていった。
 そう。僕と眞さんはお隣同士なのだ。
 このマンションには、僕の方が先に住んでいた。そして大学に通うことになった眞さんがお隣に引っ越してきた。それからの付き合いだ。
 引っ越しの挨拶にきた彼を見て、綺麗な子だと思った。背は僕より高いし、男性に綺麗だなんて失礼だけど、本当にそう思った。
 母親に付き添われるようにして僕の所へ挨拶に来た彼は、まるで母親の方が一人暮らしをするのかと思うほど、よろしく、よろしくと言っている後ろでペコリとお辞儀をした。
 母親の過保護をうっとうしがりながらも、初めてなのだろう一人暮らしに、少しの不安と、大きな希望を持っているらしい、真っ直ぐな瞳が綺麗だと思った。
 ゴミの分別に戸惑っている眞さんに声を掛けたのがきっかけだった。彼の地元とルールが違っていたこともあるし、だいたいゴミ出しなどしたこともなかったのだろう。燃えるものも缶も瓶も、一緒くたに入っているゴミを見て、これじゃあ業者が持っていってくれないよと助言した。眞さんは素直に僕の助言を聞き、ありがとうと言ってくれた。
 ゴミの中には母親から送られてきたらしい野菜などの食材も無残に腐った状態で入っていた。
 眞さんはバツが悪そうに「料理出来なくて」と言い訳をし、何故か僕にごめんなさいと謝ったのだ。
「僕に謝ることないよ?」
「けど、なんかこういうの悪いことかなって。折角の食べ物なのに、腐らせちゃって」
 母親は一人暮らしの息子の為にせっせと食材を送って来る。息子がちゃんと栄養と摂れるように気を配って。日持ちがするからと乾物も入っている時があるのだが、眞さんはどう料理したらいいのか分からない。荷物の中に説明が入っているが、どうにも面倒でそれが出来ない。
 こうして捨てられているのを知らずに定期的に送って来る。世の中には食べるのにも苦労している人がいるっていうのにと、眞さんは本当に申し訳なさそうに僕に謝るのだ。
 そんなことがきっかけで、僕と眞さんはじゃあ一緒に料理してみようかということになった。
 僕だって乾物を水で戻して味付けして煮るなんていう高度な料理をしたこともない。一人暮らしが長いから、彼よりは自炊の経験はあっても、送られて来た食材を見て、じゃあこれを作ろうとメニューが浮かぶほどの達人でもない。
 料理本を買い、パソコンで調べ、二人の試行錯誤が始まった。それはとても張りのある、楽しい挑戦だった。
 自分の部屋に荷物を置き、Tシャツと短パンに着替えた眞さんが僕の部屋に入って来た。合い鍵は随分前にお互い渡してある。
 僕が台所で用意をしている間、眞さんはリビングにあるカウチソファに座ってビールを飲みながらテレビを観ていた。手伝うという申し出を僕が断ったのだ。彼の手伝いは、狭い台所ではあまり手伝いにならないから。
 眞さんもそれは分かっているし、いつものことだから、大人しく料理が出来上がるのを待っているというわけだ。
 ゆったりとした一人掛けのカウチソファーは、随分前に買った物だ。眞さんが越して来るずっと前から僕の部屋にある。就職して初めてのボーナスで買った、この部屋には少しそぐわない位の贅沢品だ。
 深い緑色の滑らかな皮の素材のクッションに、コーヒーカップぐらいなら置ける、幅の広い肘掛けが付いている。長年座っているが、弾力のある背もたれはそのままで、むしろ僕の身体に合わせて包んでくる。
 今は眞さんのお気に入りの場所だ。
 片膝を立てた格好で、ビールを飲みながらゆったりと待っている。僕の部屋で寛いでいる様子が嬉しいと思う。
「今日はなに?」
 ビールを飲み終えた眞さんが、出来上がる頃合いを察して近づいてきた。
 野菜を千切って盛っただけのサラダと市販のドレッシングをリビングに運んでくれた。
 また台所に戻って来て、肉を焼いている僕の後ろで鼻をひくつかせている。
「生姜焼きと唐揚げ」
「わお、肉だ肉だ」
 喜んだ眞さんが後ろから抱き付いてきた。
 フワン、と石鹸の香りがした。着替えに戻ったついでにシャワーを浴びてきたらしい。
「お風呂入ってきたの?」
「うん。汗臭かったから。弘人さんは?」
「まだ。肉焼いたら匂いがまた付いちゃうから」
「そう。じゃ、食べたら一緒に入ろ?」
「だって眞さんは入ったんだろう?」
「汗流しただけだし」
 そう言いながら、そっと耳を噛まれた。
「一緒に入ろう?」
「……火、使ってるから。危ないよ」
 努めて平静な声を出して肉を焼き続ける。
「焦げるから。ほら」
「分かった」
 そう言っておきながら、後ろから首を伸ばしてきた眞さんは、素早くチュッとキスをしてきた。
 料理をしていて両手が塞がっていたから、抵抗も、離れてしまった唇を追いかけることも出来なかった。
 顎を持たれ、もう一度今度はゆっくりと口づけをされた。
 ジュウーと、肉の焼ける音がする。
「ほら、俺も肉の匂い付いた」
 フライパンから上がる煙が眞さんの頭に掛かっている。
 眞さんは笑いながら「ね、だから、一緒に入ろ?」と、悪戯っぽい声で、また僕を誘ってきた。



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