INDEX |
雨が止むまで〜意地っ張りの恋〜 28(完) |
「……これはなんだ?」 テーブルに並んだ料理を克也が凝視したまま聞いてきた。 「えっと、一応……オムライス」 今日久しぶりにやってくる克也のために取って置きの腕を奮う……つもりだった。 カレーは作れるようになった。ご飯も炊ける。炒め物は……なんでベチャベチャになるのかがまだ分からない。味噌汁には味噌以外にだしを入れるのだということを、最近知った。 そんな智が、炒めたご飯を卵でくるむなどという芸当ができるはずもなかった。 焦げた野菜と冷や飯が、フライパンにくっついて取れなくなって、むりやりにこそげ落とした卵から飛び出している。結局卵ケチャップチャーハンになってしまった物の上に、もう一度焼いた卵を被せてみた。 その上にケチャップで字を書いたはずが、流れてしまった「おめでとう」の文字は判別できず、呪いの言葉と化していた。 外で待ち合わせてもよかったし、普通に寿司でもとればよかったと、今さらになって思うが、電話をもらったときには、手料理でお祝いをしたいと思ってしまったのが間違いだった。 血染めのような料理の前に座り、スプーンを持った克也がそれを口に放り込んだ。 「……」 黙ったまま二口目をかき込んでいる。 「……卵、使いすぎだな」 「うん」 「味付けは?」 「ケチャップ」 「それは分かる。他には?」 「え? オムライスってケチャップ以外の味付けすんの?」 「まあ、塩とかコショウとか」 「へえ!」 「それから……殻は入れねえほうがいいな」 「え? 入っちゃってた?」 「入っちゃったっつうか、わざと入れたのか、つうぐらい入ってる」 「あれぇ?」 「あれぇ? じゃねえよ。馬鹿が」 それでも克也は智の作った料理を全部平らげてくれた。 もの凄い勢いで。味わうよりも早く。 そしてビールで全部を流し込み、バッタリと横になった。倒れ込んでいる克也の側まで四つ足で這っていき、その腹の上に跨った。 「……おい、腹に乗るな。何かが込み上げてくる」 「かっちゃん、合格おめでとう」 「おう。だから乗るなって」 克也が大学に合格したという知らせを受けたのは、一週間前のことだ。 試験前には克也が最後の追い込みを掛けていて、邪魔にしかならないからと会うのを遠慮していた。そして合格したとの連絡をもらい、すぐにでも祝ってやりたかったが、その頃は智の仕事が佳境を迎えていたのだ。 就職をしてから二年が過ぎようとしていた。 智は相変わらず今の職場に勤めている。部署も替わっていない。宮島との関係も、劇的に好転したということもない。 結局は前と変わらず同じ職場で同じ人間と、同じようにどやされながら働いている。 変わったことと言えば、智の内面なのか。 現金なことではあるが、克也との仲が完全に復活し、それ以上の関係、いわば恋人同士になれたときから、他の問題は些末なものへと変化してしまった。 職場では取りあえずの話し合いの場を設けられ、智も宮島も自分の意見をある程度は吐露した。お互いの認識の齟齬についても多少は話し合ったし、それについての形のうえでの和解も成された。宮島は多少のやり過ぎもあったかもと不承不承認め、智自身も反省してみせた。会社側もことを穏便に済ませたがった。 結局はなにも変わりはなかったといえる。 それでも前よりは智も宮島の怒声を冷静に受け止められるようになったし、時には受け流し、冗談で返すこともできるようになっていった。馬が合わないのはもう仕方がない。ただ、それで自分の評価を悪戯に落とされるのもごめんだった。 智の携わった社内広報が、ある程度の評判をもらえたことも自信に繋がった。逃げず、萎縮せず、真摯に取り組めば、見ている人もいることも知った。 それに、今は克也がいる。 疲れたら愚痴を言い、甘えることのできる存在があることは、とても有り難かった。 克也は前と同じように開けっぴろげに懐に入れてくれる。愚痴を黙って聞き、励ましも慰めもせず、だけどそこにいてくれる。それがどんなに得難く、安らげることなのか、智も今は理解している。素直に甘えながら、それに感謝し、いつかは克也にとっても自分がそういう存在になりたいと思う。 克也の腹の上に跨り、どけと言う克也の文句を聞こえない振りをして、その唇の端に付いたケチャップをペロっと舐めとる。ぐえっと戯けたような声を出し、克也が笑いながら智の頭を叩いた。 「春からは大学生だな、かっちゃん」 「おう。二部だけどな」 粗末な祝いの料理を食べ、二人で祝う。 なににも執着しない克也は、お祝いを贈りたいと言う智に、なにもいらないと言った。服も身につける装飾品もなにもいらない。そんな金があるなら貯金しろと言う。 智を腹に乗っけたまま、克也が手を伸ばし、自分の鞄を引き寄せている。物が駄目なら俺がプレゼントに、という気持ちで覆い被さっている智の頭を、鞄から出してきた冊子で殴ってきた。 「いてっ」 「マジでどけって。重いんだって」 分厚い冊子の角で殴られて、渋々克也の腹から下りると、起き上がった克也が持っていた雑誌をテーブルの上に広げてみせた。 「おら、決めようぜ」 広げた住宅雑誌には、あちこちに付箋が貼ってある。 「俺の職場とお前の会社と、それから学校と。なるべく便がいいとこ選べよ」 「風呂は広めがいい」 「ばーか、そういうのはまず場所決めてからだろ」 「防音も大事だな。俺、声がデカイから」 「……そこは大事だ。てめえマジで声がデカイから」 「かっちゃんが悪いんだろ」 「うるせえ」 相変わらず軽口をききながら、二人でこれからの相談をする。 「広めだと、やっぱ駅から遠くなるんだろうな」 克也と一緒に暮らす部屋だ。 「平気だよ。自転車あるし」 「だな」 晴れた日も、雨の日も、風が吹いても。二人一緒なら、どこへだって行けるだろう。 (完) |
novellist |