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恋なんかじゃありません
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 学校へ行く途中。
 駅を出て、今日はどの道から行こうかと、怜汰れんたは駅前にある三叉路を見渡した。
 土曜、日曜と大雨が降り、ずっと続くかと思われた暑さが止み、過ごしやすくなったのはいいのだが、朝方まで降り続いた雨で、いつも使う道はまだ濡れているだろうと予測した。
 二車線道路の両脇に商店が並ぶ道は歩道が狭い。継ぎ足し継ぎ足しで整備されているらしい、でこぼこ道にはきっと水たまりができているだろう。
 ちょっと遠回りになるけど、住宅街を通って行こうと決め、道を曲がった。多少遠回りになっても遅刻するほどでもないし、靴が濡れるほうが面倒だ。
 緩い坂道が学校方面に向って延びている。この道も広くはないが舗装されていて、車も少ない。古くからある料亭なのか旅館なのか、「文豪何々が滞在した宿」などと看板のある家もあれば、デザインハウスのような奇抜な建物もある。新旧一体化したような住宅街の中を、ゆっくりと歩いていった。
 庭のある一軒家も多く、軒先には花が植えられている。朝方までの雨をまだ葉に溜めて、秋の蕾が準備を始めていた。
 ふと、目の端をひらひらと横切る影があり、目を向けると小さな蝶が飛んでいた。ポツポツと斑点を乗せた羽が何かに似ている。
 小さな蝶は少し行った先の植木鉢に止まり、羽を立てた。その模様を見て、ああ、これが何とかシジミという種類なんだなと理解した。シジミ貝に似ているから何とかシジミ。単純だけど明瞭なネーミングだと思った。
 蝶の止まる場所まで行くと、蝶は驚いたように飛び立った。別に捕まえようと思ったわけではなく、行き先がそっちだから仕方がない。
 迷うようにひらひらと舞っている蝶は、何故か怜汰の周りを旋回し、歩く歩調に合わせて追ってきて、そのうち肩に止まった。 
 あら、お花と間違えたのかしら。
 なんて思うわけもなく、片手で払った。紺のブレザーに微かな鱗粉が付いたので、それも一緒に払った。
 直接打撃を与えたつもりはなかったが、追い払われた蝶はふらふらと蛇行し、道路に落ちた。
 背後からチリチリという音がして、一歩後ろへ下がる。坂道の下から立ち漕ぎでやってきた自転車が、あっ、と思う間もなく蝶の側を通り過ぎて行った。
 地べたに落ちた蝶は動かない。落ちたそのままの姿で濡れた道にぺったりと羽を付けているが、形状があるから轢かれたわけではないと判断した。もしあの自転車に轢かれたなら、もっとグシャグシャになっているはずだ。
 近寄って蝶が動き出すのを待ってみるが、蝶はそのまま動かなかった。どうやらお亡くなりなってしまったらしい。
「え? 僕のせい?……じゃないよね」
 確かに肩に止まった蝶を払ったが、渾身の力を使ったわけではないし、一応当たらないようにと配慮したつもりだ。落ちるまでは一応ハラハラと羽を動かしていたから怜汰の打撃で死んだのではない。自転車にも轢かれていないし、落ちた場所が濡れていたから溺れたんだろうか。だけど湿った道路はたとえ蝶でも溺れるほど水が溜まっているわけでもない。
 考えるに、自転車の風圧か。それとも一度期にいろいろなことが重なった結果のショック死か。いずれにしろ蝶はお亡くなりになってしまった。
「なんだ。儚いもんなんだな」
 道の真ん中にぺったりと落ちている蝶を眺め、世の無常を嘆く、なんてこともなく、だけどただなんとなく、このままにしておくのは自分的に夢見が悪いかな、などと考えて、そっと拾い上げたそれを、迷った末にティッシュにくるみ、ポケットに入れた。
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