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湯けむり若頭旅情編1 |
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東京からアクアラインを走り約一時間、南房総にある道の駅に辿り着いた。 緑の屋根の洋館は、プチホテルのような外観をしており、テラスには遅いランチを楽しんでいる観光客の姿が見える。 運転席から降り、眞田史弘は大きく伸びをした。日差しは暖かく、春の風が心地好い。 絶好のドライブ日和だ。 「気持ちいいね。菜の花がいっぱいだ」 「……本当だ」 助手席から降りてきた伊吹龍之介が隣に並んだ。目の前に広がる菜の花畑を眺め、それからこちらへ視線を移した。目を細め、口元が綻んでいる。 「運転、疲れたでしょう」 「大丈夫。最初はだいぶ緊張したけど。ポルシェなんて初めてだからね」 SUVタイプではあってもスポーツカーはスポーツカーだ。眞田の普段運転している車とは、エンジン音からして違う。まさか自分がこんな車を運転できる日が来るとは思っていなかった。 朝早くに伊吹の部屋から二人で出発した。当然、車の持ち主である伊吹が最初は運転していたのだが、途中で交代したのだ。二人で旅行に出掛けるという事実に舞い上がり、興奮と緊張で運転をしながら車酔いを起こすという、稀に見る事態に陥った結果だった。 「……申し訳ない」 菜の花畑を背にしながら、伊吹がしおしおになって謝ってくる。雄々しい外見と、バックにしている光景と、本人の中身とのギャップが相変わらず面白い。 「全然平気だよ。それより車酔いはどう? 少しは良くなった?」 「はい。もうなんとも。史弘さんの運転が上手いから、安心して乗っていました」 「それは車の性能のせいだよ。でも本当楽しかった。また運転させてくれる?」 「もちろん」 運転は好きだし、それが滅多に乗れないような高級車なのだ。車体の安定感は申し分なく、高速を走った時の加速感に思わず声を上げた眞田だった。 本人曰く、「周りにはベンツを勧められたんだけど、俺が乗ったら『如何にも』みたいになるからこっちにした」のだそうだ。 こういう時に、恋人である伊吹が高額納税者であるベストセラー作家なのだということを、改めて思う。普段の飾り気ない、内向的ともいえる伊吹の意外な一面を垣間見たようで、それも面白い。 休みを合わせて旅行に行こうということになり、二人で相談して千葉の房総へ一泊することになった。宿泊場所を決め、食事をする店を選び、二人の共通の趣味であるスイーツ巡りのためのドライブルートを決める作業は楽しかった。眞田の意向を聞きながら、いちいち大袈裟な反応を見せる伊吹がまた面白い。 「ドライブ」という単語だけでニヤつき、「名産のソフトクリームが食べたい」と言ったら呻いた。「季節がいいから花も満開だろうね」と言えば、すでに脳内が花畑になったようにウットリとし、「露天風呂……」と言い掛けたら「……ふぉっ!」と叫び、両手で口を覆った。 計画の段階で「一生の思い出だ」と言い始めるのを笑い飛ばし、これから楽しい思い出をもっとたくさん作ろうと言えば、蕩けるような笑顔を向けてくる。 イベント事は大好きな眞田だが、伊吹によって出掛ける前からその楽しさが何倍にもなるのが幸福だと思う。眞田を最優先にし、眞田を喜ばせようと全力を尽くす姿が嬉しく、そんな伊吹自身も、非常に楽しみにしているという様子が分かり、ますます幸福感が増すのだった。 「じゃあ、ソフトクリーム食べようか」 ここでの目的を果たそうと、緑の屋根の建物に向かう。 「はい」と元気よく返事をした伊吹が隣に並んできた。相変わらず目立つ外見で、すれ違う人が伊吹を目で追っていく。 普段は人の視線を気にする伊吹だが、旅行の開放感もあってか、今日は意にも解さない。 もっとも、伊吹の視線の先には常に自分がいるわけで、本人が自覚しているのかどうか、眞田の姿しか目に入っていない様子だ。 強面の容貌がコンプレックスらしい伊吹だが、実は表情が非常に豊かなのを眞田は知っている。そんな伊吹が今はニコニコしながら、ずっとこちらに顔を向けているのが可笑しくて楽しくて、幸せだ。 この地の名産である枇杷のソフトクリームは、サッパリとした甘さで美味しかった。 「美味しいね」 「はい」 食べている最中も伊吹の視線は眞田から外れず、彼も嬉しそうだ。大きな手でオレンジ色のソフトクリームを持ち、大事そうに口に運んでいる。 「あっちのカレーも美味しそう……」 テラスで食事を取っている人のテーブルを眺め眞田が言うと、伊吹が笑った。 「そうですね。でもここで腹いっぱいになったら、次キツイですよ?」 目に入るものにすぐ興味を示し、食べたくなってしまう眞田を、伊吹が諭す。 今回の旅行の主な目的は、なるべくたくさんの店を回り、美味しいものを目いっぱい食べようということになっていた。 「クリームパンと大判焼きも食べるんでしょう?」 「うん」 「じゃあ、今は我慢しておきましょう」 これから回る有名スイーツスポットを挙げ、伊吹が保護者のように言ってきた。 「明日帰る時にここに寄ってもいいし。その時にまた食べたくなったら食べましょうか」 「うん。そうしようか」 土産物屋を二人で回り、あれこれと名産品を買いこんだ。 眞田の好物を熟知している伊吹は、ここでも眞田の為に食材を選んでいる。 「ジャム買っときましょうか。枇杷ジャムなんてなかなかないから。トーストとか、お菓子にも使えそうだし」 「いいね。食べたい。あ、これも美味しいよ。食べてみて」 試食品の皿から摘まんだお菓子を進めると、どれどれと伊吹も手に取った。味を確かめるように口を動かしている横顔をじっと見つめていると、「うん」と頷いてニッコリと笑った。 「じゃあこれも買いましょうか」 眞田が美味しいと言う商品を片っ端からカゴに入れていく。宿に着く前から車の中は土産物でいっぱいだ。 紙袋を掲げて車に戻ると、今度は自分が運転するからと、伊吹が運転席に入った。 「次はクリームパンの店ですね」 「うん、ちょっと待って。龍之介さん、こっち向いてごらん」 ナビゲーターを操作している端整な横顔が素直にこちらを向いた。 「お弁当付いてる」 さっき摘まんだ試食品のクッキーが付いていた。唇の横にある欠片を人差し指で掬い取る。 「うん。イケメンに戻った」 指先のクッキーをパクンと口に入れ、粉を払ってやりながらそう言ったら、眞田を見つめていた伊吹の眉が下がり、いきなりハンドルに突っ伏した。 ファァアン! とクラクションが鳴る。 眞田の起こす不意の言動に、過剰な反応を見せるのはいつものことだ。クラクションの音に一旦身体を起こした伊吹は、今度は大きな掌で口元を押さえ、座席にぐったりと凭れた。息が荒い。 「……やっぱり僕が運転しようか?」 「すみません……、お願いし……っ」 こちらを向いて謝ってくる伊吹に、「いいよ」と言って顔を近づける。 こういう可愛らしい反応をいちいちしてくるから、こちらも悪戯心が湧いてしまうのだ。 掌で口を覆っているので鼻を狙った。形のいい鼻の頭にチュ、と唇を押しつけ、それからペロ、と舐めてやる。 「っ、……! っ、っ」 叫びは音にならず、代わりにもう一度クラクションが鳴った。 |
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