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うさちゃんと辰郎くん
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 僕のシングルベッドに大きな身体の辰郎くんが入り込んでいる。
「辰郎くん」
「お母さん何時に帰ってくるって?」
「分からないけど、たぶん一時間ぐらいかな」
「そか」
「あ、でも分かんない。三十分とかかも知れないし」
「じゃあ急がないと」
「急ぐって、辰郎くん」
「うさちゃん、ほら、早く」
 布団をめくり、早くおいでと誘ってくる。
 そんないきなりすごいご褒美になっちゃうの?
 試験前なのに。
 お勉強会なのに。
「うさちゃん」
 もう一度呼ばれて、そろそろとベッドに近づいた。
 大きくめくられた布団の中に「お邪魔します」と断って潜り込む。
 潜り込んだ途端、携帯が鳴った。
 飛び起きてベッドの上に正座したまま携帯にでると、母さんからだった。
「どうしたの?」
『あのね。辰郎くんなにが食べたいかなって思って。リクエストがあったら聞いてくれる?』
「……だって。辰郎くん何が食べたい?」
「うさちゃん」
「肉。肉が好きだって辰郎くん」
 電話の向こうで母さんがカラカラと笑って、「分かった」と言った。ベッドに座って電話をしている僕の服の裾を辰郎くんが引っ張っている。
「あのっ、母さん。どれくらい、時間掛かるの?」
『なに、どうしたの? そんな声出しちゃって』
「いや、別に。ええと、ほら、夕飯遅くなるのかなって」
『大丈夫よ。分かった。分かった。なるべく早く帰って来るから』
 ああ! 墓穴!
「いいよいいよ。ゆっくりしてきて。お願いだから」
『田中さんとはいつだって話せるから。ね』
 いやそうじゃなくて。
 僕とだってそれこそいつでも話せるじゃないか、母さん。
『じゃね。急いで帰るからね。勉強しながら待っててね。二人だからってふざけて悪い事ばっかりしてちゃ駄目よ』
 だってすぐ帰ってくるんでしょ?
 悪いことする暇も与えてもらえない。
 言い訳も説得もする前に唐突に電話が切れた。
 辰郎くんは相変わらず僕の服の裾を引っ張っている。
「あの……辰郎くん。ごめん。僕余計なこと言っちゃったみたいで」
「そうなの?」
「母さん、すぐ帰ってくるって」
「そうか」
 せっかくのチャンスだったのに。チャンスっていうか、そんな親の居ぬ間にいかがわしいことをしようとしたわけじゃないけど、でも、こんな機会はもうめったにないかなって思ったらやっぱり残念で、辰郎くんにも悪いことしちゃったなって申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまって、僕は「ごめんね」ってもう一度謝った。


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