INDEX |
月を見上げている |
1
|
バナナだ。 なんでバナナが? 久島樹(いつき)は自分のデスクの前で首を傾げていた。 樹はバナナを食べない。 いや、嫌いだとか、アレルギーがあるから食べられない、ということでは、ない。 会社で、自分の仕事場であるここで、バナナなど食べたことがないという意味だ。 たとえ食べたとしても、食べ終わったら、ゴミ箱に捨てる。 それなのに、今、樹の机の上にバナナの皮が乗っている。しかも大量に。 なんで? 何かの嫌がらせか? 新手のいじめ? 誰かが「あいつ、最近生意気だからやってやろうぜ。バナナの皮でもおいてやれ」って言ったのか? 樹は確かに素直な性質ではない。自分でも愛想に欠けるということは判っている。 だけど、いくら何でも社会人になってから、こんなショボイ嫌がらせを受ける謂われはないし、もし自分が嫌がらせをするのなら、もっと効果的な手を使うだろう。 まあ、これを嫌がらせと考えるならの話だけど。 腕を組んで、自分の机の上の黄色い山を見つめる。 今朝は定刻に出社した後、簡単な書類を制作した。この机で。もちろん、その時はここにバナナはなかった。 そのあと外回りに出掛けた。取引先との打ち合わせは十一時の予定になっていたから。 樹の勤める吉本通商は、企業向けの自動販売機の製造、リース販売をしている。社員食堂などにおいてある、コーヒーや、清涼飲料水の販売機、食券などを扱う券売機である。主に東京を中心に、銀行、デパート、スーパー、オフィスビルなど、得意先は多岐に渡る。 大学で情報処理を学んだ樹は、この会社のシステム課を希望していたが、社の方針である『製品を知り、顧客の声を聞く』というモットーにより、入社して研修を終えた後、ここ、吉本通商浅草橋営業所に配属されたのが二年前。千葉を含めた営業所近郊エリアを担当し、新規契約先の開拓と同時に、得意先のメンテナンス、新製品のセールスなどが今の仕事だ。 午前中は市川駅近くにこの夏リニューアルオープンされるショッピングビルに出向き、新規顧客開拓のセールスをしてきた。そのまま外でランチを済ませ、午後に行く予定の銀行へ持っていく、新製品のパンフレットを取りに営業所に戻ったところだった。 で、バナナである。 樹は特に自分が神経質だとは思っていない。学生時代から住んでいるマンションも、散らかってはいないが、ピカピカという訳でもない。 ただ、食べたものの残骸は、きちんとゴミ箱に捨てるぐらいの常識はある。しかも人の机の上に放置したりなどは、絶対にしない。 樹は腕を組んだまま見つめ続けていた。さっさと拾い上げて捨ててしまえばいいのだが、どうにもしゃくに触る。 (なんで俺が、自分の食べたものでもないのに始末しなきゃならないんだ?) テレンと虚脱したような状態で横たわっている状態が、何だか馬鹿にされているような気がしてきた。 こういうことをする奴を知っている。 たぶん、いや、絶対に、奴だ。 嫌がらせでもなんでもなく、なにも考えずに人の机の上に、食ったバナナを放置する奴。 「お、帰って来てたのか。おかえり」 能天気な声が降ってきた。 「ただ今戻りました。で、折田さん、これ、なんですか?」 表情を変えないまま、顔も向けずに聞いた。 「ん?」 樹の視線の先を追って、折田大輔が机を見る。 「あー、悪ぃ悪ぃ」 ひょいと、黄色い山の一つを持ち上げた。 「いや、昼飯食う暇なくってさ。これ昼飯代わり。参るよなあ、こんなんじゃ俺、痩せちまうぜ」 いや、それはないだろう。今日はたまたま時間がないだけで、普段は牛並みにばかばか食べているくせに。一回昼を抜いたからといって、そのでかい体は屁とも思わないはずだ。 だいたいこの皮の量だって、二房分はあるぞ? バナナだけを十本近く食べられる腹が信じられない。 「なんで?」 「ん? だからさあ、昼飯行こうと思ったら、電話がかかってきてさ。昨日見積もり出した先から、問い合わせが」 「そうじゃなくて、なんで、俺の机に?」 「いや、だからさ、俺のデスクで作業したからさ、こっちで喰わせてもらったわけよ。栄養あるしな、バナナ」 だから何故放置? 喰ったら捨てろよ。いちいち捨てろよ。それが出来ないなら皮ごと喰ってくれよ、跡形も残さず。 悪い悪いと、目の前で黄色い皮をぷらんぷらんさせている。会話がまるで噛み合っていないのに気付く様子もない。 こういう奴だ。 鈍感で無神経。きっと体がでか過ぎて、神経が回っていかないのだ。 折田を睨みつけたいが、身長百七十ちょっとの樹が百九十近い男を睨みつけるには、どうやったって見上げる形になってしまうのが悔しくて、代わりに目の前で、ぴたんぴたんと、揺れているバナナの皮を不機嫌に睨み続けた。 「なんだ? 食べたかった? バナナ好きだったか? やろうか?」 まるでお門違いな気遣いを見せて、折田が見下ろしてきた。 |
novellist |