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月を見上げている

「や、皮は特に好きではありませんから」
「わかってるよ」
「いいです。折田さんこそ、皮をあとで食べるつもりで、俺の所に置いといたのかなと思いました」
「んなはずねえだろ。お前、相変わらず面白いな」
あっはっはぁ、と、これまたでっかい口を開けて笑っている。ついでに、バンバンと背中を叩かれて、思わず一歩飛び出してしまった。
「なんだよ、弱っちいな。踏ん張れよ。道産子だろ?」
 こういうところが、苦手だ。
「ほれ」とポケットからバナナを出して手渡される。
 なんだそのポケットは? 異次元ポケットか? いやだこのバナナ。温かくて気持ち悪い。
「本当にいらないです」 
 つき返すと「そうか?」と、おもむろに皮を剥いて食べ始めた。
「……」
「なんだよ? やっぱり食べたいんだろ?」
「いえ、似合うなって思って」
 本当によく似合う。バナナが。
「お前、午後何処?」
 ゴミ箱に向かいながら聞かれ、「飯田橋ですけど」とそっけなく返す。
「おう、新製品のほうか。頑張ってんな。一緒に行こうか?」
「いえ、大丈夫です」
「そっか、西本さんによろしく伝えてくれ。あそこはお得意様だ。大事にしないとな」
 折田が先輩らしくアドバイスをくれる。飯田橋は、入社当時、折田について初めて担当したエリアだ。
 五期上の折田に樹は仕事のノウハウを教わった。
 樹にとっては図体のでかい、傍若無人な鈍感男でしかないが、仕事に関しては、その押しの強さと明るい性格で、どんどん成績を伸ばしている。他の営業所でも有望な社員として有名だ。
 人の懐にすとんと自然に入っていく。何もかも造作の大きい折田のその人懐こい笑顔と大きな手で、気持ちをがっちりとつかんでいくらしい。
 樹には逆立ちしても出来ない芸当だ。
 それでも特に対抗しようとは思っていない。敵わないなとは思うが、樹には樹のやり方がある。緻密なリサーチと、それに基づくデータ作り。顧客の要望を予測し、それに応えていく営業方法。
 これを教えてくれたのも、折田大輔だ。
 努力は怠らないが、無理はしない。得意分野を活かし、足らないところは無理せずにフォローを頼む。対象的な折田と樹は、仕事をする上ではいいコンビといえた。
「おい、これプリントアウトしたら、俺も出るから、ちょっと待ってろ」
 樹の返事も聞かずにコピー機の前で奮闘している。待っていろと言ったら、待っているものと疑わない。そして出掛ける準備が整うと、今度は大股で樹を追い越して、早くしろとせかす。
「じゃ、所長、行ってきます」
 折田が声をかけると、今まで自分の席から樹と折田の掛け合いを、漫才でも見るような面持ちで眺めていた所長の柴崎が、おう、と手をあげた。
「なんだ、今日はオセロコンビか?」
「違いますよ。さっきの電話の件。もう一度説明してきます」
 オセロとは、樹と折田が二人で外回りをしている時についたコンビ名だ。
 でかくて色の黒い折田と、全体的に色素の薄い樹。見た目も性格も対照的な二人を、周りは面白がって、そう呼んでいた。それも樹にとっては不本意で、折田と関わりたくない一つの要因にもなっている。
 にこにこして見送る所長に行ってきますと頭を下げて、コートを着込んでいると「おい、早くしろよ、置いていくぞ」と、すでにエレベーターへ向かっている折田に言われ、待ってろっつたのはてめえじゃねえか! 自分は待ってくれないのかよっ、ふざけんなバーカ、と、言葉には出さずに、ことさらゆっくりと歩いていった。
「すみませんね。お待たせしました」
 丁度やってきたエレベーターに乗り込んで、隣り合わせて立つ。降下するエレベーターの表示板を見上げていたら、急に大きな手が降ってきて、頭をがしがしとかき回された。
「ちょ、やめてくださいよ」
「なんだよ、いいじゃねえか。だいたい、お前、顔が整い過ぎてんだから、少しぐらいぐしゃっとしてたほうがいいんだって。ほら、この方が可愛い子ちゃんだぜ」
「可愛い子ちゃんって……折田さん、いくつですか。恥かしすぎて、吐きそうです」
 乱れた髪を丁寧に直しながら、このセクハラ親父と睨みつける。
「あ、このやろ、せっかく俺がセットしてやったのに」
「きちっとしたのが好きなんです」
「え〜。つまんねえの。お前、ちょっと神経質過ぎ。北海道だろ、もっと大らかにいかないと」
 また出た。
「関係ないですから」
「関係あるだろ。ほら、師匠のクラーク博士もそんなようなこと言ってたぜ。あんまり細かいことを気にするな、みたいなことをさあ」
「クラーク博士はそんなこと言ってません。それにクラーク博士は俺の師匠じゃありませんから。だいたい俺、大学こっちだし」
 駅へ向かう道をほとんど言い争いのような調子で、二人早足で歩く。実際早足なのは樹だけで、折田は自分のペースで大股で歩くから、ついて行くのにこうなってしまう。
(コート、置いてくればよかった)
 春の風が柔らかく吹いていて、暖かい日差しの下、ほんのちょっと歩いただけで汗ばんでしまった。普段は会社から十五分程かかる駅へ、十分足らずで着いてしまう。
「折田さんは、どっち方面ですか?」
「おう、新宿。さっき問い合わせのあった所。詳しい説明書作り直したからさ」
 なんだ。
 昼飯抜いてそれ作っていたのか。
 一言連絡してくれれば手伝ったのに。そういうのは俺の方が得意なのに。
 のんきに昼飯なんか食うんじゃなかったと後悔したが、口には出さなかった。

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