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あの日たち
11

 本格的な夏がやってきて、学校も長期の休みに入っていた。
 俺は相変わらず、たまにバイトをしたり、呼び出されて遊びに行ったりしながら、ダラダラと過ごしている。
 本来なら就職活動も終わっていて最後の大学生活を謳歌しているか、就職が決まらず焦っているかだろうが、事故で一年ダブってしまっているから、俺の就活は夏休みが終わってからということになる。
 同学年だった亜子は就職が決まり、一足先に最後の夏休みを楽しんでいる。今頃ヨーロッパの何処かを旅行中だ。
 そして俺は相変わらず、隣人の部屋の自分のお気に入りの場所で、愚痴を述べているわけだ。
 亜子とはあまり会っていない。
 今は旅行中だということもあるけど、その前にちょっとした諍いになって気まずくなったままだ。
 一緒に旅行に行こうと誘われたが、学生の俺に海外に行くほどの資金は到底調達できなかったし、それなら近場でもいいと言う誘いも気乗りがしなかった。
 大学を卒業するだけの彼女と、これから就活を始める俺とでは、気持ちの持ちようがまるで違ったし、そのせいもあるのか、だんだんと亜子の態度が変わってきてもいた。
 たぶん、俺の方も変わってしまったのかもしれないが。
「だってさ、会う度に『ハルはいいね』ってそればっかりなんだよ。俺のせいじゃないのにさ」
 長く続いている就職氷河期は、今年も例外ではなく、とても厳しいものらしかった。
 亜子も希望の職は惨敗で、結局地元の小さな事務所に親の口利きで入ることになったらしい。それだってかなり恵まれているじゃないかと思うのだが、彼女には不満らしい。
「田舎なんかやだやだって、それで親の金で旅行してんだからさぁ。だいたい本当にやりたいことがあるんなら、適当なとこで妥協しないで自分で頑張れよって思わない?」
 俺の愚痴に斉藤さんが苦笑している。
「女の子ですからね。そういうのもありなんでしょう」
「けどさ、それで人に当たるなって言いたいよ、俺は」
「甘えているんでしょう? それぐらい聞いてあげなくちゃ」
 子供のように拗ねて口を尖らす俺に、斉藤さんが優しく言う。
 確かに狭量だと思う。
 けど、会う度にお前はいいなと言われるのに、もううんざりなのだ。
「ハル君はいいよね。凄いセールスポイントがあるんだから。印象が違うよ」
 事故に遭ったのは俺のせいじゃないのに、それが俺の重要な武器なのだと言われ、腹が立つ。
 そんなことを《売り》にしようとは思っていない。俺だって痛い思いも、つらい思いもしたのだ。
 それをまるで幸運なことのように言われ、どうしようもなく腹が立つ。
 退院してきた俺と亜子に、周りはよかったねと祝福をしてくれた。
 確かに俺が意識不明の時にも何度も来てくれて、目覚めた後も大げさなくらいに泣いてはくれた。
 だけど俺の知らないところで、まるで悲劇のヒロインだったような様子を聞かされて、興ざめしてしまったというところもある。
 母親が、ガールフレンドである亜子よりも、余程隣人の斉藤さんを頼りにしている所なんかを見ると、そんなもんだよなと、納得してしまった。
 俺が目覚めてからのはしゃぎようも、今思うと苦笑してしまうような光景だった。
 浦島太郎状態だった俺に、どんなに自分が心配したか、どれほど絶望的な思いをしたかを何度も何度も聞かされ、退院すれば、まるで自慢するようにあちこち連れ回された。
 週刊誌の取材が来たときだって、目を輝かせて《彼女》ともてはやされ喜んでいた。結局はうちの親が大騒ぎを嫌がって記事になることはなかったが。
 それに、俺が寝ている間に、いろいろな人に慰められ、その中で特に親しくなった男友達もいたのだと、亜子の友達が、親切にも教えてくれたこともある。
 就活が始まればあれが嫌だ、これが気にくわないと愚痴を零し、挙げ句に決まった先の悪口を言う。
 そんなこと言うなよと諭せば「ハル君は私が田舎に帰って別れてもいいんだ」と突っかかってくる。そして「ハル君はいいよね」と、恨みがましく言うのだ。
「現状に満足しないところが、バイタリティがあっていいじゃないですか」
「斉藤さん、人が善過ぎ。だいたい最終的に田舎に帰るって決めたの自分だろ? それが今頃になって引き留めてくれなかったって責められてもさあ」
 実際引き留めていない。相談を持ちかけられたときも、ふうん、それは仕方がないな、くらいにしか思わなかった。
 薄情だったんだろうと思う。だけど、最終的にやっぱり決めるのは自分だと思うのだ。俺が引き留めて、それでますます就職が難しくなっても困る。そうなればそうなったで、また面倒くさいことになるだろう。
 その辺から二人の仲がおかしくなってきた。
「嘘でもいいから田舎なんかに帰るなって言えばよかったのかな」
「それは……どうでしょう。やはりそういうことで嘘はいけないんじゃないかな」
「だよね」
 そう言ってもらえて、少し安心した。
 無責任ではあるが、本当に無責任な立場の学生で、人の将来を左右するようなことは言えない。
 ただ、斉藤さんにそう思われたんじゃなくてよかったと胸をなで下ろし、こうして蕩々と愚痴を溢しまくっている。
 こういうところが凄く楽だと思う。
 斉藤さんは俺の言うことをなおざりでなくちゃんと聞いてくれる。甘やかされているという自覚もあるが、彼は手放しでなんでも許すというわけではない。俺が間違っていれば「それは違うと思うよ」と、ちゃんと叱ってもくれるのだ。


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