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あの日たち
17

「でもだって。私と別れて、その、好きな人とも付き合わないんなら、ハル君どうしたいの?」
 未だに俺の言い訳が解せない様子の亜子が膨れている。
「どうもしない」
「だっておかしいよ。それじゃあ別れなくってもよくない?」
「……よくなくないんじゃないか?」 
「嫌だよ。だって、理由ないもん」
「理由は、だから……」
「友達の中で就職決まったの、私ともう一人しかいないんだよ? それで彼氏もいるの、私だけなのにぃ」
 ……そんな理由? 別れたくないのは。
「やだぁ、だって、就職も決まって、旅行も行って、私みんなにいいなぁって言われてるんだよ? ハル君と別れたなんて、言えないよ」
「……亜子なら可愛いから、すぐに次のが出来るんじゃないか?」
「それはそうだけどぉ」
 否定もしない、この女。
「でも、ハル君だから価値があるっていうか。ほら、《あのハル君》だし」
 人の災難をブランド化してやがる。
「とにかく、俺はお前とはもう付き合えない、っていうか、お前だって別に俺が好きで別れたくないっていうわけじゃないみたいだし」
「それは違うよ、ハル君」
 山の天気のようにコロコロと変わる表情と声音がまた劇的に変わる。それは今までのどれよりも、静かで真剣で、哀しげだった。
 演技の上手い女だからと一蹴するには、俺は女性というものをよく知らない。だけど、亜子がそこまで嫌な奴ではないことぐらいは知っていた。
「ごめん。本当に」
 ふぅ、とひとつ、小さなため息を吐き、亜子が「わかったよ」と呟いた。
「納得は出来ないけど」
「ごめん」
「なんか釈然としないけど」
「俺が悪い。全部俺のせいにして構わないから」
「当たり前でしょう? 全部ハル君が悪い」
「すみません」
「こんないい女振って。あとですんごい後悔するんだからね」
「はい」
「俺が悪かったって、泣きながらズボン下げて走って来ても、知らないんだからね?」
「そんなことはしません」
「しなさいよっ!」
 鬼の形相で変態行為を強要された。
「それでハル君の評判が地に落ちればいいんだわ。警察に捕まって、テレビで《哀れな変態君》として全国に放映されてしまえ!」
 そうすると、その《哀れな変態君の元カノ》として、お前の評判も地に落ちないか? と心配したが、どうやらそれは冗談だったらしく、亜子は来たときとは打って変わった明るい顔をして、笑った。
「お隣さん、がっかりさせちゃうね」
 笑った顔のまま、亜子がやけに優しい声を出した。
「だって、すごく心配そうにしてたよ? 手をさあ、こう、組んじゃって、祈るみたいな顔してた。『二人は本当にお似合いです』って」
「うん。なんか俺ら、憧れのカップルだったらしい」
 他愛ない会話。坂道の二人。手を繋いで歩く恋人同士。
 よくいる、若いバカップルを、本当に微笑ましい気持ちで見守ってくれていたんだと告げると、亜子はまた「がっかりさせちゃったね」と、淡く笑った。



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