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あの日たち
7

「おかえりなさい」
 俺の声に、斉藤さんが笑顔で応えた。
 目が醒めてからしばらくは、俺の周りは騒がしかった。母親はよく泣いていたし、普段はあまり感情を表に出さない父親もすっ飛んできて、俺の回復を喜んでくれた。同級生やあまり親しくもなかった先輩後輩たちが大挙して見舞いに来たし、週刊誌の取材の申し込みなんかもあった。
 俺自身はあまり変わったという実感がなくても、俺を取り巻く環境は激変した。退院し、前と同じように学校へ通うようになり、多少は落ち着いてきてはいるが、それでもやはり好奇の目で見られることも多い。親しげに寄ってきては「あの奇跡の生還を遂げた男」の知り合いであることを周りにアピールしようとする奴もいた。
 だが一番変わったことといえば、やはりこの隣人との付き合いだろう。
 俺と同じバスで事故に遭い、俺と同じように意識不明に陥り、俺よりも早く目覚めた彼は、目を覚まさない俺に責任を感じていたらしい。
 自分が席を代わってもらいさえしなければ、俺はもっと軽症で済んだはずだと言い、入院中も、退院してからも、ほとんど毎日見舞いに来ていたそうだ。
 あの大雨の日、発車寸前のバスに乗り込んできた彼は、大きな筒状のケースを抱えていた。背中に背負える仕様のそれを、濡れないように胸に抱き、おまけに傘と通勤鞄も持っていたから、席を譲ったのだ。
 隣人同士で顔見知りではあったし、俺はリュック以外は傘しか持っていなかったから、気軽な気持ちだった。駅までほんの十数分だったし。
「どうぞ」と通路を歩いてくる斉藤さんに声を掛けたら、彼は最初驚いたように俺を見て、そのあと「ありがとう」と、悪遠慮することもなく座ってくれた。ポケットから出したハンカチでケースを拭いていた。大事な図面かなにかが入っているんだろうなと推測した。
 そういえば、この人はどんな職業に就いているんだろうと、その時初めて思った。俺もそろそろ就職のことを真剣に考えなければならない時期だったから、何かの参考になるかもと思い、話しかけようとした矢先、あの事故が起った。
 俺よりも大分軽そうな身体の隣人は、多分バスが横転したときに立った状態でいたなら、きっと吹っ飛んでいただろう。叩き付けられ、人の下敷きになり、即死だったかもしれないと、医者にも言われたらしい。
 実際の話、事故直後に運ばれた時の状態は、むしろ俺よりも彼の方が深刻で、心肺停止状態に三度陥り、その度に蘇生の処置を受けてなんとか意識を取り戻したそうだ。
 俺自身は何も痛い思いもないまま眠り続け、ある日突然目覚めて今に至るわけだから、斉藤さんが死なずに済んでよかったなと思うだけだし、責任を感じて欲しいとも、感謝して欲しいとも思っていない。
 だけど斉藤さんは俺の家族に謝り、まだよく動かない身体で俺を見舞い、俺の目覚めを心から祈ってくれた。
 寝ているだけで固まってしまう関節のマッサージを母親と交代でしてくれ、絶対に目覚めるからと、励ましてもくれたらしい。いつ果てるかもしれない看病生活の中で、絶望に陥りそうな母親は、斉藤さんにとても勇気づけられたと言っていた。感謝したいのはむしろこちら側の方だった。
「ただいま。今日は少し蒸しますね」
 ベランダ越しに挨拶を交す。斉藤さんはまだスーツを着たままだった。
 俺よりもずっと年上なのに、斉藤さんは俺に丁寧語を使う。まあ、事故に遭う前は、挨拶程度しか交わしたことがなかったわけだからそれも仕方がないかと思う。温厚そうな外見を崩すことのない斉藤さんは、声も言葉も柔らかい。
「あのさ、また送られて来たんだけど」
 俺の方はこれも多分外見通り、飾らず気取らず深く考えもせず、敬語が使えない。
「ああ」
 斉藤さんの笑顔が深くなった。
「それがまた、もの凄い量で……」
「有り難いことですよね」
「つか、多すぎ。そんなに食えないって」
 母親からの定期便だ。
 前は不定期で、今よりもずっと少ない量の食材だったのが、ここ最近は月に二度は送ってくるようになった。これがまたもの凄い量なのだ。
 米なんかは正直助かるし、野菜も根野菜なら、まあなんとかなる。カレーを大量に作ればある程度は消化できるが、それもあまりに続くと辟易する。出来ればインスタント食品なんかだともっと嬉しいが、「そんなものそっちで買えるでしょ」と一蹴された。いや、野菜だって別にこっちで買えるのだが、こちらのほうは意地のように地ものを送ってくる。
 俺の看護をしながらこの部屋に泊まっていた母親は、斉藤さんと本当に意気投合してしまったらしい。送られてくる食材は、俺にというより「隣の人と一緒に食べなさい」という意味なのだ。
「そして今回はなんと、クール便で送ってきやがった」
「へえ。何でした?」
「まだ開けてない。恐いから」
 魚なんかまんまで入っていたら、おっかなくて触れない。
 俺の危惧を「まさか」と隣人が笑っている。「お母さんだって、息子さんに魚を捌けとは言わないでしょう」
「わかんねえよ。あの人考えが大雑把だから。自分が出来るんだからやれるはずだって」
 この場合、母親のあてにしているのは俺ではなく多分斉藤さんだ。親切な隣人に料理してもらえと言っているのだ。その辺は親子だから分かる。俺の性格は母親譲りだから。
「なので、いつものとおり、お願いします」
 こういう時だけ丁寧語になる。
 隣人は笑ってわかりましたと返事をした。



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