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あの日たち
8

 お互いにベランダから部屋に戻る。俺はそのまま届いた荷物を持って部屋を出た。
 インターホンを押す前にドアが開いた。
 斉藤さんが受け取ろうとするのを「いいから」と断り、そのままサンダルを脱ぐ。
 遠慮することもなく中へと入り、俺の部屋と反対側に位置している台所の床に荷物を置いた。
 俺の後から斉藤さんがゆっくりと付いてきた。
 大腿骨を複雑骨折した足は、完治はしているが、一年経った今でもまだ少し恐いらしく、彼はゆっくりと歩く。
 箱の中身はやはり魚だった。多分父親が釣ってきたものだろう。カチコチに固まった、名前の分からない魚が六匹、それから切り干し大根や肉団子だの煮豚だのの総菜が詰まっていた。
「ああ。これは嬉しいですね」
 中身を一つ一つ取り出しながら、斉藤さんが本当に嬉しそうに言っている。
「魚も……ちゃんと下処理してあるし。これなら焼くだけで済みそうだ。僕も流石に魚は捌けません」
 今日の献立を決めながら、残った分の魚と肉団子を冷凍のまま冷蔵庫にしまう。俺の部屋に置いても宝の持ち腐れになるからだ。というより、文字通り腐らせてしまう。
 今夜のメニューは焼き魚と煮豚になった。魚を食べたい斉藤さんと、肉が食べたい俺との意見でこうなった。
 米を研いで、サラダぐらいは作りましょうかとシンクの前に立つ後ろでウロチョロし、最後には苦笑されながら「座って待っていて下さい」と追い出された。「邪魔だから」とも。口調は柔らかい斉藤さんだが、意外とはっきりとものを言う人だった。
 言われた通りリビングに戻り、ここでの俺の定位置に腰を下ろす。緑色をしたフカフカのソファ。人んちの家具だが、俺のお気に入りだ。
「ビール飲んでもいい?」
 どうぞの声の前に冷蔵庫を開けビールを出す。ソファに戻り、テレビを観ながら夕飯の出来上がるのを待った。図々しいことこの上ない俺を、斉藤さんは愉しそうに受け入れる。
 事故での責任と感謝もあるんだろう。だけどそれ以外にも、斉藤さんの俺に対する好意のようなものは伝わってくる。
 引っ越してきた当初から親切な人だった。兄弟はいないと言っていたが、たぶん弟のような感覚なんじゃないかなと思っている。だから遠慮なく甘えることにしている。俺もリラックスできるし、彼も愉しそうだ。
 そろそろ出来上がりそうな気配を察して立ち上がる。皿を運んだり、ご飯をよそったりぐらいの手伝いは、俺にだって出来る。
 ローテーブルに並んだ夕飯に手を合わせて美味しくいただく。魚はふっくらと焼いてあって、煮豚はトロトロでお袋の味がした。当然だけど。
「美味しいですね」
 箸で簡単にほぐれる肉を口に運んで斉藤さんが感心している。
「お母さんに美味しかったとお伝え下さい。僕にはこういう料理は出来ません」
 伝えたらきっと喜んで今度はレシピと肉を送って来るだろう。真面目な斉藤さんはそれを丁寧になぞって、かなりのものを作ってくれる。俺も美味しいし、斉藤さんも腕が上がる。一石二鳥というには、少々図々し過ぎるかとも思うのだが。 
「肉団子は三好君の家ではどんな風に出てましたか? やはり中華風の餡かけかな?」
「うーん。どうだったっけ? 甘酢餡っていうの? ああいう感じが多かったかも。弁当によく入ってた。あ、あとスープにも浮かんでた。ネギとかわかめとかと一緒に」
 鍋にも入っていたし、シチューなんかにも入っていた。考えてみると実家の食卓の肉団子率は結構高かったと思い出した。
「そうですか。そう考えると肉団子って便利ですよね。冷凍も出来るし。今度作ってみようかな」
「また母ちゃんに頼めばいいよ。喜んで送って来るって」
 そうすれば俺もご相伴に与れるし、という打算は口に出さずにいた。家から送られた材料だから作ってもらって御馳走してもらえる。一人で全部作っちまったら、俺が食えないじゃないか。なんてことは口にしなかった。
 だから代わりに「明日は肉団子鍋にしない?」と誘った。野菜を切って鍋に入れるだけなら俺にも出来る。
「ああ、いいですねぇ」
 斉藤さんがにっこりと笑って賛同してくれたから、安心して目の前の食事に取りかかる。
「野菜は俺が買って来るから。ネギと、白菜? 鍋ってあと何が入ってるんだっけ」
「きのことか、豆腐も。味は何味にしましょうか。塩なんかもいいですね」
「キムチチゲみたいなのもいいな。あれって何入れんの? キムチと……醤油?」
「味付けは僕がするんで」
「鍋ぐらい俺だって出来るよ。ほら、鍋の素みたいなんあるだろ? あと、醤油とか」
「醤油は入れないで下さい。君が入れるとしょっぱくなるから」
 丁寧に断られた。斉藤さんが笑っている。
 斉藤さんにばかり作らせるのが申し訳なくて、俺も何度か挑戦したことがある。なんでも最後には醤油を入れて味を誤魔化そうとする俺を、斉藤さんは吃驚したように見ていた。
 醤油は俺にとっての最終兵器だ。
 俺がそう言ったら、彼は本当に吃驚したように呆然と俺を見上げ、それから花が開くようにして笑っていた。
「野菜は三好君に任せます。あとは僕が用意するんで。野菜だけでいいですからね」
 念を押され、わかったと頷いた。他には何をしたらいいのか、まるで分からなかったから。
 食べるのは大の得意だが、その味付けのこととなると、とんと記憶に残らない。料理の才能は俺には微塵もないなと思っていると、斉藤さんは「本当に三好君は食べるのだけが得意ですね」と俺の思っていることを容赦なく言葉にして笑っている。
 その通りなんだけど、とちょっと情けなくなって向かいの人を見返すと、斉藤さんは本当に愉しそうに、「料理が苦手で、食べるのは大得意」と言ってまた笑った。
 歌うような優しい声だと思った。



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