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雨が止むまで〜意地っ張りの恋〜
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 ファミレスから出て駅まで歩き、部屋まで一緒に付いてきたそうな母を、もう大丈夫だからと無理矢理に帰した。
 部屋の有様を見られたら、また小言を言われるのが分かっていたし、母には悪いが早く一人になりたかった。できれば克也とも一緒にいたくない。だけど帰る駅が同じなのだから、これはどうしようもなかった。
 みっともない、と思う。
 一昨日の夜、行ってもいいかと訊ね、居留守を使われてまで断られた相手に、酔って救急車で運ばれたことを知られた上に、着替えまで持ってこさせている。
 どんだけ馬鹿なんだよと思い、克也もきっとそう思っているだろうと思うと居たたまれなかった。冗談でも言って、無理にでも笑う元気は湧いてこない。電車に乗る間も終始無言だった。
 住んでいる駅に到着し、やはり無言で降りる。改札を出たところで、克也が「自転車は?」と聞いてきた。
「ああ、うん。置いてある。……じゃあ」
 お礼を言って、別れようとするのを引き留められた。
「今日はタクシー使おう」
「いいよ。どうせ取りに来なきゃならないし」
「俺が明日にでも取ってきてやる」
 でも、と渋る智の腕を掴み、強引にタクシー乗り場に連れて行かれた。開いたドアに押し込められ、自分も乗ってくる。どうやら家まで送ってくれる気らしい。
 智の部屋は駅から遠い。克也のアパートからも徒歩で行くとかなりの距離になる。送ってくれるのは有り難いが、それでは克也が面倒だろう。
 ああ、マンションの前まで来たら、自分だけ降りて、克也はそのままタクシーに乗って帰ればいいか。克也もきっと智の部屋には入りたくないだろう。怪我は大したことないし、飯も食った。明日も休みだし、そのあとのことはまたそれからだ。 
 車に揺られながら、そんなことを考えた。思考が弛緩しているような気がするのは、たぶん仕事が一段落ついたという安堵と、昨日とその前のでき事で、何かが吹っ切れてしまったからだろう。
 隣にいる克也は相変わらず何も言わない。なにを考えているのか分からなかったが、それに想像を巡らすことすらもう、どうでもよかった。
 静かに車が止まり、開いたドア側に座っていた克也が財布を取り出している。
「かっちゃん、このまま乗ってけよ。俺もう平気だから」
 自分も財布を取りだし、運転手にこのまま一人乗って行くことを告げると、開いたドアから滑り出た克也が睨んできた。
「何言ってんだ」
「だって、こっから歩きだと遠いだろ」
「大した距離じゃねえ」
 逡巡していると低い声で「降りろ」と命令され、仕方なくそれに従う。去って行く車を見送る智に構わず、克也はさっさと建物の中に入っていった。
「かっちゃん。いいよ。本当に」
「うるせえ」
「部屋汚いし」
「さっき見たから知ってる」
 短いやり取りをしながら、すでに部屋の前に着いてしまっている。開けろ、と顎でしゃくられ、鍵を差し込む。
 部屋に入ると、当たり前だが散らかっていた。
「あーあ」
 自分の部屋の有様に思わず声が出た。せっかく送ってもらったのに茶の用意もない。
「かっちゃん悪い。こんな感じで」
「別に。忙しかったんだろ」
 智のだらしなさなど慣れている克也は、気にするふうもなく、そんなことを言っている。
「なんにもない。牛乳……腹壊すな、これは。ビールあるけど、飲む?」
 今さら取り繕うこともないかと、ビールと腐った牛乳しか入っていない冷蔵庫を開け、そう言ってみた。案の定、「いらない」という返事を聞き、黙って扉を閉める。
 リビングに戻り、取りあえず座れる場所を確保し腰を下ろすと、克也も座った。どっかりと胡座をかき、真向かいにいる智を睨み付けてくる。
「……ええと」
 言うべき言葉が見つからなくて、その瞳を見つめ返す。無言が気まずい。今までずっと一緒にいて、気にも止めなかった静寂が、とても気まずかった。
 怒っているのか呆れているのか、その両方なのか。何を言いたいのか、なにを思っているのか、全然分からない。
 そんな克也の顔を眺めながら、ああ、本当に他人なんだなあ、と、改めて思った。
 家族でもなければもはや親友でもない。まして自分の一部なのだと感じていたことが、遠い昔のようだ。
 克也のことならなんでも分かると思っていた。克也も智を理解していると思っていた。だけど改めて目の前にいる人のことを考えても、なにも分からない。分かろうとする努力もしてこなかった。
 一番大切な他人なのに。他人だからこそ、理解しようとし、伝えようと努力しなければならなかったのに。

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