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雨が止むまで〜意地っ張りの恋〜
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「……ハムとビール送られてきた日よ」
 ぼそりと克也が呟き出す。
「俺も腐ってたんだよ」
 見返すと、いつの間にか眉間の皺は消えていて、うっすらと笑みが浮かんでいた。
「勉強なんか金輪際したくねえって言ってんのに、周りがやいのやいの言いやがってよ」
 卒業まで二年もあるのに、その先にも行けと強要され、投げ出したい気持ちで一杯だったのだと、克也は言った。
「そんときあの荷物が届いてよ。面白ぇことしやがってって思って、お前んち行った」
 その頃すでに家を出ていた智に、母親から荷物を言付かって克也はやってきた。贈り物の礼を言われ、就職を祝ってもらった。
「お袋さんがすげえ喜んでて。大学も行くんだろう? って。マジで喜んでて」
 母親のそのときのはしゃぎようは想像できる。智が克也のそのことを聞かせた日と同じ騒ぎようだったことだろう。
「そんで、お前が『スゲエだろ』って自慢してたって」
「うん。凄いと思ったし、マジで」
 すげえだろ、そうだろと母親に自慢し「あんたはどうなのよ」と突っ込まれながら、それでも誇らしくて仕方がなかったことを思い出す。
「あれ聞いて、俺もじゃあもういっちょ頑張ってみるかって……思ってよ」
 照れくさそうに笑いながら、克也はお前らのお陰だと、そう言った。
「ほら、期待されることなんて普段ねえからよ。あれなかったらたぶん、高校卒業したとこで終わってたと思う」
「そうなの?」
「ああ。ま、まだ卒業してねえし、大学だって受からなきゃ行けねえけどな」
 笑いながら「だから俺だってお前が言うほど凄いことなんかねえんだよ」と、智を見つめてきた。
「そうか。じゃあ、俺も少しはかっちゃんの励ましになったってことだ」
「そうだな」
「そっか……そりゃ……嬉しいな」
「ああ。感謝してる」
「感謝とか……」
 素直に礼を述べられ、真っ直ぐに感謝されて、思わず頬が綻んだ。
「なんかあったらよ、気軽に言ってこい」
 弛んだ顔のまま、克也を見上げる。
「近いんだしよ」
「いいのか?」
「当たり前だろ」
 自然に弛んだはずの笑顔を保っていられなくなって下を向いた。
 何も知らずに聞かされていたら、嬉しかったと思う。馬鹿で単純だから、克也のその言葉を鵜呑みにしただろう。鵜呑みにして纏わり付き、そしていい加減にしろと、そこまでは許しちゃいないと言われ、また傷付いたかもしれない。
 いつから智に対し、克也はそんな社交辞令めいたことを言うようになったのか。近いから気軽に来いだなんて、よく言えたものだ。
「そうだな。なんかあったらな。そのときはよろしく頼むよ」
 社交辞令には社交辞令で返す。それくらいの心得ぐらいは身についている。
 鵜呑みにしてはいけない。そう思って口にした言葉に、克也の顔が険しくなった。
「なんだその『あー、はいはい』みてえな返事はよ」
 態度があからさま過ぎたのか、克也が明らかに気分を害したような声を出す。どうにも感情がうまくコントロールできない。
「……ごめん。そういうつもりじゃなかった」
 途端に顔が強張り俯いてしまう。せっかく優しい言葉を掛けてくれたのに、素直に受け取れず、怒らせてしまった。
「ごめん」
 俯いたまま、膝に置いた手が拳を握る。
「……お前、本当どうしたんだ?」
 項垂れてしまった智を気遣うように、克也が声を落とし、そのやさしい声音に自分が情けなくなる。
「怒ってねえから。そんなにへしょげるなよ」
 心配されては突っぱね、叱られたら落ち込んで今度は慰められる。そうしながら克也を試している自覚もある。子どもが親の愛情を試し、わざと拗ねているような態度の自分に嫌悪を感じた。
「ごめん。ちょっと疲れてるみたいだ。ほら、昨日まで忙しかったから」
「ああ。そうだな」
「だから……」
 もう帰ってくれ。これ以上は一緒にいたくない。いたら甘えてしまう。そして最後に拒絶されたらもう。
 言葉にできず、ただただ自分の手を見つめる。
 だって本当は、まだここにいて欲しい。引き下がらずに、どうしたんだと肩を揺さぶって欲しい。無理矢理にでも聞き出して欲しい。
 我が儘極まりない二つの感情を、二つとも表に出せずに、ただ黙って自分の拳を眺めていた。


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