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雨が止むまで〜意地っ張りの恋〜
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「聞かれたことには正直に答えようと思っています」
『正直に? 何がだ』
「階段から落ちたのははずみだったと思います。それは私も疑っていません。でも、顔にビールを掛けられたことは、納得いっていません」
 お前の顔を見ていると腹が立つと、大勢の前で言い放たれ、ビールを掛けられた。自分の態度にまったく非がなかったとは言わないが、あれはやはりやり過ぎだろうと思う。
「ですから、社内報のことはそれが終わるまで待ってください。お願いします」
 もしかしたら部署が替わることになるかもしれない。最悪会社を辞めるかもしれない。それならばなおさら最後の仕事として、ひとつぐらいなにかをやったという痕跡を残したい。
 智の執拗な要請に、電話の向こうで、ち、と舌打ちのような音が聞こえた。
「そんなに大袈裟なことでもないだろ」
 たかだが社内報のことで。忌々しげな言葉の裏には、そんな気持ちも覗けていた。それでも智がたったひとつ、一人で取り組んでいた仕事なのだ。
 初めの失言で印象を悪くした。周りも見えていなかった。学生気分も抜けていなかった。露骨な態度の宮島に、自分も大概な態度だったと今になって思う。だけど、嫌々仕事をやっていたわけではない。そこは分かって欲しかった。
「もしどうしても月曜に提出するというのであれば、今から出社します」
 メインは新商品の発売記事だった。新商品は発売から約一週間での初動で決まると言われている。その結果を待ち、今後の課題と戦略の見直し、それまでの社員の奮闘振りなどを交え、情報を提供したかった。
「お願いします」
 それが叶わないのなら、せめて今の段階でのベストを尽くしたい。それぐらいしなくては、智が今までやってきたことが、すべてなくなってしまうのだ。
『……分かったよ』
 いつにない智の粘りに宮島が不承不承といった形で承諾してくれた。
『まあ、怪我もあることだし、無理をするな。俺ももう帰るし。あとは月曜に』
 そう言って唐突に電話が切れた。無音になった携帯を耳から放し、ほう、と溜息を吐く。
 自分にしてはよく頑張ったんじゃないか、なんて、少しだけ気分が軽くなった気がした。
「平気か?」
 暗くなった液晶を見つめていた智に、克也が話しかけてきた。見上げると、克也が心配げに智を見つめていた。ああ、と、声とも溜息ともつかない音が漏れ、自然な笑みが浮かぶのを感じだ。
「平気。ありがとう。助かった」
 礼を言うと、克也はわけが分からないという顔をし「なんもしてねえけど」と言った。
「そんなことない。本当ありがとう」
 押し切られそうになり、諦めかけた智の背中を支えてくれた。この手があったから、言いたいことをちゃんと口にすることができたのだ。
 いつもそうだった。こういうとき、克也はとても頼りになる。智がどんな窮地に陥っても、必ずそばにいてくれた。
「顔色悪いぞ」
 惜しいな、と思った。
「そう? ちょっと緊張したから」
 こんなに頼りになる人を、もう頼りにしてはいけないのか。
「上司と電話で言い合うなんて初めてだったからさ」
 恐い、助けてと、飛び込む胸はもう用意されていない。
「仕事のことでちょっとね。ほら、俺が月曜休むかもしれないって思ってたみたいで」
 寂しいと訴え、その腕で抱き締められることは、もうないのだ。
「そいつとなんかあったのか?」
「ああ……まあ、でもたいしたことじゃない」
「そいつがお前を階段から落としたのか」
 固い声が降ってきて、そうじゃないと首を振った。
「あれはほんと、ちょっとしたはずみだ。なんともないし」
「ビール掛けられたって、お前本当か」
 強ばった顔で智を睨んでくる。子どもの頃なら「かっちゃんあいつにやられた」と泣きついて、敵をとってもらったことだろう。克也も相手をぶちのめしにすっ飛んでいったかもしれない。子どもの頃はそれで済んでいた。
「ほんとはさ、ちょっといろいろあったんだけど、解決した。もう大丈夫。かっちゃん、ありがとう」
 だけど今はもう変わってしまっている。一人でなんとかしなくてはいけないのだ。
「だからなんにもしてねえって」
「うん」
 でも今だけはいてくれてよかった。
 本当に、よかった。
「それよりかっちゃん、そろそろ帰ったほうがいいんじゃないか?」
 そう言うと、克也はさっきのように、ちょっとどこかが痛そうな顔を作った。

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