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雨が止むまで〜意地っ張りの恋〜
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 しばらくは蟹を堪能し、そのあと野菜を投入した克也は、煮えた美味しいところを智に渡してくる。長年一緒に飯を食ってきた幼なじみは、智の嗜好も食べるスピードも熟知していて、それに合わせ、ちょうどいいタイミングで皿に盛ってくれた。
「かっちゃんも食べなよ」
「あたりめーだ」
 まず智に渡してくれながら、次に自分の皿に持っていく。ずっと昔からの二人の関係だった。
「仕事慣れたか?」
「ああ、うん。慣れたっていうか、走り回ってる感じ」
 智の就職先は乾物や焼肉のたれなどの、加工食品メーカーだ。そこの宣伝部広報課というところに配属され、働いている。
 就職が決まり、大学の卒業式を待たずに研修合宿に突っ込まれ、入社式のときにはすでに働き出して一ヶ月が過ぎていた。四月の終わりの今は、配属先で駒のように走り回されている。
「まあな。初めのうちはワケ分かんねえよな。俺もそうだった」
 智よりもずっと早くに働き始めた克也がしみじみと納得している。
 高校を退学になって、一年ほどフラフラしていたのが、今の職場に拾われて、それからずっと一人暮らしをしている。それに加え、夜間の高校に行き直し、今は大学に向けて勉強中だというから、たいしたものだと正直思う。
「言われたことをそのままやってる感じ。なにやってんのかも、よく分かってないっていうか」
 智の所属する宣伝部とは、文字通り商品を宣伝するための部署だ。その中の広報二課は、社内での広報を担当している。社内報を作るのが主な仕事で、その他に新商品が出たときの説明文を社内に配ったり、また、ヒット商品が出たときの号外版ポスターを作ったりもする。あとは小さなPR業務というところか。
 要するに、宣伝部はテレビなどの巨大媒体に向けて宣伝を打つところで、広報二課はその下請け的な役割だった。
 中規模の食品メーカーだが、扱っている商品の数は膨大で、とても全部を把握しきれていない。配属初日から言われるまま目まぐるしく走り回るばかりで、失敗も多い。
「わけ分かんないうちに段々と覚えていくさ。あんまり焦んな」
「うん」
「社会人はどうよ。女もいろいろいるだろ。お前んところ、そこそこでかいもんな、会社」
 智の皿にネギと椎茸を乗せてくれながら、克也がおどけた声を出した。
「お前、あんまり地金出すなよ。捕まえてもすぐ逃げられるんだから」
「失敬だな」
 かは、と克也が笑い、智は椎茸を口に入れた。
「ま、そのうち合うのが見つかるさ。相変わらず合コン三昧か?」
「そんな暇ない。……まあ、二回ぐらい」
「十分だ。まったく。変わらねえな」
「そんなことない。教えてもらってる先輩がむりやりセッティングしてくるから」
「ふうん」
「やなんだけど、仕方なく」
「ほぉう」
 まるで信じていない様子で克也が相槌を打ってくる。だが、強く主張したところで、智の場合まるで説得力がない。不徳の致すところだった。
 智の教育係になっている上司の宮島は、入るなり先輩風を吹かせ、大学の名前を聞くとすぐさま合コンをセッティングしろと命令してきた。無理矢理セッティングさせられたその席で、智の昔の女絡みの失敗談を聞き出した宮島は、ことあるごとにその話題を口にする。
 事実は事実で、自分が馬鹿をやった結果だから反論はできないが、それを仕事と一緒くたにされて「だから駄目なんだよ」などと言われると、腹も立つ。
 克也に愚痴を漏らしたくても、自業自得だと一蹴されそうで、口にはできなかった。それに、せっかくこうして二人でいるのだ。くだらない愚痴で空気を壊したくはなかった。
「ゴールデンウィークは? かっちゃん仕事休みだろ?」
 だから自分から話題を変えることにする。都合が悪くなれば話題を逸らすのは智の常套手段だ。それに慣れている克也は、そのまま智の話題に付いてきた。
「ああ。お前はあれだろ。実家帰るんだろ?」
「うん。そのつもり。かっちゃんも?」
 ビールを取りに行く背中に問いかけると、克也は笑って「まさか」と言った。
 両親が離婚して父親に引き取られた克也は、その父親が再婚し、引っ越しをした家にほとんど寄りつかない。大手電機メーカーの工場に勤めていた父親は転勤が多く、その前からあまり顔を合わすことがなかったのは智も知っていた。
「あそこは俺んちじゃねえから」
 ビールを開けながら、なんでもないことのように克也が笑った。
「じゃあ、俺んち帰ればいいよ。母ちゃんも喜ぶし。そうしようよ」
 何年か振りに智の家に顔を出し、母がとても喜んでいた。ほとんど一緒に育ったような智の実家だ。
「あー、俺、旅行行くんだ」
 智の誘いをそんな言葉で克也が断ってきた。
「旅行?」
 自分の分と一緒に持って来たビールを手渡され、それを受け取りながらその顔を見上げた。
「ああ」
「どこに?」
 誰と? という問いは口には出さなかった。
「北海道」
「ふうん」
「実は……修学旅行なんだ」
 照れくさそうに克也が言い、その言葉にほっとする。
「へえ。修学旅行なんかあるんだ」
「そ。ほら、働いてる連中ばっかりだからよ。そういう大型連休狙っていくわけ。まあ自由参加なんだけどよ、社長も行ってこいっていうし、な」
 面倒臭そうに言ってはいるが、どこか嬉しそうな顔で克也がビールを煽った。
「楽しみだね」
「ま、な」
「土産買ってきてよ」
「おう。そうだな」
「蟹とウニ」
「ふざけんな」
 いつもの調子で克也が智の言うことを切り捨て、食べ尽くした鍋に仕上げだと言って、雑炊を作ってくれた。


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