INDEX
明日晴れたら〜ろくでなしの恋
13


 梅雨時期は工務店にとって暇な季節だ。雨が降ると外での作業ができないからだ。屋内での細々した仕事はいくらでもあるが、晴れてくれなければどうしても先に進めない工程もある。
 今日も天気予報は当たり、朝から大雨が降り、工事は延期になった。工事がなくなっても仕事は休みにならないから、その日一日は、別の屋内工事に駆り出されていた。
 作業から帰ってくると、従業員のほとんどが社に戻っており、休憩室や事務室にたむろしていた。こんな日は早く切り上げようやという社長の一声で、急遽宴会を開くことになる。その日は創立記念日とかで、学校のほうも休みだったから、克也も久しぶりに参加することになった。
 皆で行きつけの居酒屋に集まり酒を飲む。梅雨明けの予想や遅れた工事の工程のことや、棟梁の娘がもうすぐ結婚することや、克也の学校の話など、様々な話題が飛び交った。
 騒ぐだけ騒いでお開きになり、店を出た。外はまだ雨が降り続いていた。
 久しぶりの酒で少し足をふらつかせ、電車に乗る。それでも学校がある日に比べれば早い時間だった。今頃はまだ三時間目の授業を受けている頃だ。
 駅から自分の部屋へと歩きながら、ふと、今日、智は来ているだろうかと考えた。冷蔵庫のビールも残り少ない。そう思い、途中のコンビニで買って帰ることにした。
 傘を差し、ビールの入った袋をぶら下げて、古いアパートの階段を昇った。
 ドアを開けると案の定、智の靴が置いてあった。
 それからもうひとつ、隣りに靴が並んでいる。智のではない、克也のものとも違う、女物の靴。
 並んだふたつの靴を凝視する。部屋の灯りは消されていた。奥からガサゴソとうごめく人の気配がした。
 靴を脱ぎ、台所の電気を付け、買って来たビールを調理台の上に、音を立てて置いた。奥の部屋では慌てているような物音がしている。
「かっちゃん」
 小さく呼ばれたが、返事をせずにいると、気配が近づいてきた。台所の入り口に立ったままこちらの様子を伺っている。
「あの……こんにちは」
 智とは別の声が克也の背中に挨拶をした。
「ごめん。あのさ、雨降ってて、ちょっと雨宿りって感じになって、近くで飲んでてさ」
 返事をせずに、袋からビールを取り出して、ごくごくと飲んだ。飲みたくもなかったが、なにかを口に入れていれば話さずに済むと思った。
「勝手にお邪魔して、すみませんでした」
 背中に謝ってこられたが、これにも返事はしなかった。しばらく無言でうしろに佇んでいた二人は、そのうちひそひそと話し始めた。
「じゃあ、私帰るね」
「あ、うん。ごめん」
 そんなやりとりのあと、一旦部屋に入り荷物を取りに行った女が、克也の背後を通り過ぎた。化粧と香水の甘い香りだけが背中に留まる。一緒に玄関までついていった智はまた遠慮がちに「あの、見送ってくるから」と、声を掛け、女と一緒に出ていった。
 部屋に誰もいなくなっても、その場にしばらく立っていた。一本目を飲み干し、二本目を開ける。部屋の電気は消えたまま、克也のいる台所の灯りが付いているだけだ。
 一口ビールを煽り、乱暴にシンクに投げ込んだ。大股で居間にしている部屋を通り過ぎ、奥の寝室へ入る。
 布団が敷いてあった。電気は消えたままだが、薄暗がりの中でもシーツの皺がはっきりと見え、そこを使ったということがありありと分かった。
「……あんの野郎」
 女だけは連れ込むなとあれほどきつく言っておいたのに。それだけはやるなと、やったら縁を切ると言っていたのに、やりやがった。
 智にいちいちスケジュールなどは教えていない。いつもなら仕事の後学校へ行き、今頃はまだ授業を受けている時間だ。
 帰ってこないと高を括り、人の部屋に連れ込んだのか。ばれないと思っていたのか。それともばれてもどうってことないと思っていたのか。もしかしたらこういうことは今日が初めてではなかったのかもしれない。
「汚ったねえなあ」
 布団の上に置いてあった枕を蹴り上げた。ボスっと音を立てて、壁にぶち当たった枕が床に転がる。
「なにやってんだよ。人んちで」
 腹が煮えるようだった。
「人を馬鹿にしやがって」
 本当に馬鹿にされているのだと思った。何を言っても、叱りつけても怒鳴っても、結局克也が本気で怒るとは思っていないのだ。「どうせかっちゃんのことだから」と、軽く見ているからこんな仕打ちを平気でしてのける。
 何かを望んだわけではない。期待したわけでも、手に入れたいわけでもなかった。だが、自分のテリトリーで、自分の目の前でそれを見せつけられることには我慢ができない。
 だから合い鍵なんか渡したくなかったのだ。
 合い鍵を渡し、勝手にここにいることが当たり前になり、来ているんじゃないかなどと期待するのが嫌だった。それなのにどうだ。いるかもしれないなどと、雨の中いそいそとビールなんか買って帰ってきて。
 馬鹿みたいだ。
 暗い部屋で立ったまま、人が荒らしたあとの自分の寝室を凝視し続ける。
 突然部屋が明るくなり、後ろに人が立っている気配がした。わざわざ戻ってきたらしい。
「かっちゃん、ごめんな。あの、あのさ……」
「鍵返せ」
 何かを言おうとする前に遮る。
「かっちゃ……」
「二度と来るな」
 振り返り、智の前に無造作に手を出し返せと要求した。

novellist