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明日晴れたら〜ろくでなしの恋
19


「なに? 克也、学校って。お前学校行ってんの?」
 克也と智の会話を聞いていた一人が声を上げた。途端に悪友たちに囲まれる。仕方がないから説明をすることになる。
 今の社長に勧められ、高校をやり直していること。もしかしたら大学へ行くかもしれないことを説明すると、周りが沸き立った。
 驚かれ、すげえすげえと賞賛され、まんざらでもない気持ちになる。
 自慢するような性格ではなかったが、それでも少しは誇らしいという気概もある。実際自分でもよく続けているなと思うからだ。
 高校を皆と同じに行くことができなかったのは自分の責任だ。他の連中がなんとはなしにできたことが、克也にはできなかった。だが、遅れた形にはなるが、克也も今その道を辿っている。あの頃の何倍もの労力を使いながら。
 学校を退学になったときも周りには驚かれたが、それでもどこかに「やっぱりな」という空気があったことも否めない。自分でもそう思っていた。だが、今目の前で克也を見るその目には、あの頃とはまったく違う驚きがあり、それが嬉しくもあり、誇らしくもあるのだ。
「すげえ。頑張ってんな」
 照れと持ち前の性格で「そんなでもねえよ」と応えてしまうが、その賞賛が素直に嬉しい。
「俺も頑張らないとな」
 克也に触発されたように誰かが言う。
 そうだ。頑張れよと思う。途中の道を踏み外そうが、スタートが遅かろうが、なにもしないよりは、何かがある。努力だとか根性だとか、そんな言葉は恥ずかしくて口にはしないが、その先に道が開けることがあるということを、それを実践している自分がいることを、誰かに伝えたいと思った。
 話題は克也の学校生活の話になり、やがて近隣のうわさ話になり、最近の不景気、就職難に移り、芸能界やスポーツの話に変わっていった。取り留めもなく話ながら、智はずっと克也の隣にいた。楽しげに話題に乗り、静かに相槌を打ち、酒を飲んでいた。
 会がお開きになり、二次会はどうするという声が上がっている。この大人数を収容する会場は容易に見つからず、自ずと小さな集団ができ上がり、気のあった同士であちこちに散らばるように解散していった。
「克也。お前どうする?」
 聞かれて少し迷ったが、今日はそのまま帰ることにする。地元の人間ばかりだったから、酔っぱらっても帰る心配のない連中だ。克也はここから電車を乗り継いで帰らなければならない。明日も早くから仕事がある。
 しつこく誘われる後ろで智が黙ってその経緯を見ているのは感じていた。あえて振り向かずに誘いを断り、一人駅へと向う。
 ついてくる気配も引き留める気配もなかった。
 以前感じた火を噴くような怒りは既になくなっている。顔を見られてよかったとも思う。
 だが、昔のような関係に戻りたいとも思わなかった。
 一方的にこちら側が作ったルールを破ったからといって、克也が智に施した仕返しを、今では後悔している。
 だけどもう閉じてしまった。智のためにずっと空けて置いたスペースは、もうないのだ。
 何故ならあの日、克也は知ってしまった。
 望まないと言い聞かせていた奥に、凶暴な欲求がずっと潜んでいたことを。そしてそれが、どんなに望んでも、髪の毛一本手に入らないのだということを。
 すべてじゃなくてもいいなど、嘘だった。 
 本当は智の全部が欲しかった。
 電車に揺られながら、今日の智の姿を思い出す。就職は結局どこに決まったのかを聞きそびれた。のほほんとしているようで、ちゃんとやっていたのか。決まってよかったと心底思う。お袋さんも安心しただろう。
 ああ、そういえばおめでとうも言っていなかったと気が付いた。今思えば、自分も緊張していたのかもしれない。苦笑が漏れた。
 就職し、恋人を見つけ、いずれ家庭を持つのか。その頃俺はどうしているだろう。誰か好きになっているんだろうか。
「あいつしか知らねえんだよな」
 恋愛というものをしたことがない。人を好きになったこともない。
 智しか。
 眠気を誘うような電車の揺れに身を任す。真っ暗な車窓に自分のふ抜けた顔が映っている。そういや、最近因縁をつけられることもなくなったなと、ぼんやりと考える。
 少しずつ変わっていくのか。変わろうとも変わりたくないとも思っていなかったのに。
 それならいつか、新しい恋をするかもしれない。
 今度は懐を全開にして、全部じゃなくてもいいなどと、自分を騙すような恋は、したくないと思った。



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