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明るいほうへ
12

 言われたとおりに廊下で遠藤君と待っていたら、ぞろぞろと選手たちが出てきた。その一番後ろから戸部君がたくさんの荷物を抱えて走ってきた。周りがみんな巨人みたいな中で、戸部君だけはやっぱりキリンに見えた。
「来てくれてありがとうございます」
 息を弾ませて戸部君が礼を言った。
「凄く楽しかった。あの先輩、凄いね。びっくりした。あれほどとは思わなかった」
 そうでしょ? と眼だけで戸部君が応える。
「このあと軽くミーティングして解散なんですよ。近くで飲むんですけど、よかったら一緒にどうですか?」
 選手の一人の実家が経営している店があるのだと言った。
「野坂さんのことはみんな知ってるし、話聞きたいって」
「俺別に、スポーツ医療の専門家じゃないけど」
「でも野坂さんの話凄く解りやすいし、俺が説明しても『お前の話はわかんねんだよ』ってこづかれてて。遠藤さんも一緒に、是非。」
 魅力的な誘いだった。選手たちの生の声も聞きたかったし、なにより戸部君の先輩と話をしてみたかった。
「俺はかまわないけど……」
 遠藤君はもしかしたら行きたくないんじゃないかと思った。試合観戦は楽しめても、その後現役のスポーツ選手たちと一緒に飲むのはどうなのかな。遠藤君が昔野球をやっていたことは、本人の前で言ってしまった。きっと話題はそのことにも及ぶだろう。
「あー、行きたい気もするけど……今日は遠慮しときます。野坂さんは楽しんできてください」
 案の定、遠藤君が言った。
 えー、行こうよ、行こうよと、秋元君のように駄々を捏ねることもできず、かといって、じゃあ、俺も止めますとも言えない雰囲気だった。行ってもかまわないと言ってしまった手前、俺まで断れば遠藤君が気を遣ってしまう。戸部君の好意も無下に出来ない。
「……じゃあ、ちょっとだけ、付き合おうかな」
「そうしてください。あ、だけどあんまり飲みすぎないようにしてくださいね。今日は俺、送れませんから」
「うん。がんばる」
「大丈夫ですよ。俺今日は運転手だから呑まないし、俺が野坂さんを送っていきます。潰れても担いでいきますんで」
 多分本当に担げるだろう。平和なキリンが俺の面倒を請け負ってくれた。担がれるなら遠藤君がいいなあなんて、一瞬思考が空を飛んでしまったが。

 選手たちとの飲み会は楽しかった。みんなスポーツ選手らしく開けっぴろげで乱暴だった。
 初めは殊勝にジャンプ時の膝にかかる負荷のことだとか、最近肩が重いのはどうしたらいいんだろうかとかを聞いてきた彼らだったが、時間と酒が進むにつれて場は乱れていき、結局は大学生の飲み会と化した。
 貸し切り状態の炉端焼きの店はモダンな民家風の内装で、黒光りした武骨な梁に、和紙で加工された照明が静かに店内を照らしていたが、その下では店の静謐な雰囲気など屁とも思わない男たちが文字通り、『ザ・酒盛り!』を繰り広げていた。ビール瓶や一升ビンが床に転がり、ついでに人までも転がっていた。
 まるで鬼の宴会に紛れ込んでしまったお爺さんの心境に近いものを感じながら、飾らない彼らの騒ぎに巻き込まれて、俺も学生の頃のような気持ちになっていった。どうも俺はあまり年上という感覚を彼らに与えないらしい。
 一人、運転手という責任を担っている戸部君は、白ける様子もなく、淡々と料理を運び、先輩達が汚した床をきれいにしたりしていた。恋人に対するさりげない気配りも怠りなく、それは見ていてとても微笑ましいものだった。
 酒盛りが始まって二時間も経った頃、ちょっとしたハプニングが起こった。
 十分呑んだだろうと思うのに、店主が「とっておきだ」と持ってきたどぶろくに、みんなから、おおっ、と歓声が上がった。
 え、まだ足りないの? と眼を丸くしている俺の目の前で、店主が「これを飲んだらもう他は水みたいなもんだよ」と呟いて、うやうやしく栓を抜こうと手をかけた。ギュッっと一度押し込むように先端を掴んで手首を捻った瞬間――どぶろくが噴火した。
 店の裏に保管されていたその液体は、昼間の気温で温まってしまったらしい。ポンッと軽快な音とともに飛び上がった蓋は、弾丸のような勢いで天井の照明の和紙を突き破った。あっと思った時には一升瓶の中身はほとんど外に放出されて、逆さに振ってやっとコップ一杯にも満たない量になっていた。
 その噴火の一番の被害者は、噴火口近くにいた俺だった。垂直に吹きあがった液体はそのまままっすぐに、俺の上に落ちてきた。



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