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明るいほうへ
13


「野坂さん、この辺ですか?」
「うー」
 戸部君の呼びかけに、首を伸ばして窓の外を確認する。首だけしか伸ばせないのは決して酔っ払って体が動かないからではなく、大判のタオルにす巻のようにくるまれて、後部座席に転がっているからで、優しい心づかいというよりは、シートに酒の匂いが移らないようにという配慮がうかがえる。
「うん。そこのパーキングの隣り。ふぁふ」
 返事に欠伸が混ざる。泥酔というわけではないが、弛緩した体はトロントロンのテロンテロン状態だった。それほど強くはない酒を、今日は頭から浴びてしまった俺は、匂いだけでノックアウトだった。
 カーナビに住所を登録した戸部君は約束通り俺を送ってくれた。ついでに着ているものは上下とも戸部君のジャージ。俺の服は酒臭くてとても着ていられなかった。
「……なんか、クマがいる」
 助手席にいる先輩が呟いた。
「えー、熊? キリンじゃなくて?」
 へらへらと笑いながら熊は知り合いにはいないなあと答える。
「アパートの前。行ったり来たりしてるぜ」
 ふうん。と緩んだ返事しかできない。今は何よりシャワーを浴びて、そして横になりたかった。戸部君と先輩の会話も遠くに聞こえる。
「……いは、待ってて……ってくるから」
「大丈夫か? ……のほうがいいんじゃないか」
「いえ……のほうが……しろそうだから」
 静かに車を停車させて、戸部君が後のドアを開けた。
「野坂さん。ほら、部屋まで運びますよ」
 ずるずると引っ張られて、車から出されたかと思ったら、荷物みたいにひょいと肩に担がれた。
「あれー。運ばれちゃってるよ」
「遠藤君と約束したでしょ? 担いででも送るって」
「そうだっけ?」
「そうですよー。はいはい、大人しく運ばれてくださいね」
 ゆっさ、ゆっさと運ばれて、やっぱり戸部君は背が高いなあと感心した。肩の上で揺らされながら、ああそうだ、担がれるなら遠藤君がいいな、なんて夕方思ったことを思い出していた。
「野坂さん!」
 思ったとたん、聞きたい声が耳に飛び込んできた。俺そんなに飲んだっけ? 幻聴まで聞こえる。
「あ、やっぱり熊の正体は遠藤君だったのか」
 キリンが熊と話している。
「野坂さん、大丈夫ですか? うわっ、酒くっせえ!」
「あれ? 遠藤君? 本物?」
 タオルに巻かれたまま、戸部君の肩の上で、後ろ向のぶら下がり状態だったから、なかなか本人の姿を確かめられなかった。もごもごと動いてすまきのタオルからようやく腕だけを抜いた。
「野坂さん、動くと危ないから。ほら」
 戸部君がくるりと方向転換をした。目の前に遠藤君の足が見えていた。遠藤君が屈んでくれてようやく顔が見られた。
「あー、本当に遠藤君だ。どうしたの?」
「こっちが聞きたいですよ。何度も電話したんですよ? 何回かけても出ないから心配になって。野坂さんお酒弱いから、どっかで眠り込んでるのかもと思って。」
「携帯? 全然気がつかなかった。ごめんね、心配かけました」
 あれだけの喧騒の中にいたのだ。聞こえなくても仕方がない。でも、俺のことを心配して何度も携帯をかけてくれて、ここまで来てくれたんだと思うと、申しわけなくて、同時にとても嬉しかった。
「やだなあ。俺、ちゃんと送りますよって言ったじゃないですか」
 腹の下で戸部君の声が響いた。笑っているらしくて、小刻みに揺れる肩の震動が俺の腹にダイレクトに伝わる。
「そうだけど。じゃあ、いったいどうしてこういう状態になってるんですか? 野坂さんお酒は好きだけど、こんなに浴びるほど飲むことなんてないのに」
「浴びるほど飲んだんじゃなくて、浴びたんですよ。頭から、全部。一升瓶分まるまる」
「え」
 遠藤君が改めて俺の顔を見た。着替えも借りて、濡れタオルで拭いてはいたけれど、髪の毛にはぬぐい切れなかった液体が残ってあちこちで固まってしまっている。
「そういうわけなんで。ええと、どうします? 俺この人このまま連れてって、風呂入れようかと思ってるんですけど」
「風呂?」
 びっくりして戸部君の方を見ようとしたが、急に動いた俺を落とさないようにと戸部君が「よいしょっと」と抱え直したから、俺はまたぐったりと戸部君の上にぶら下がった。がっくんと、上がっていた頭が下を向く。



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