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明るいほうへ
15

 部屋に入ってようやく自由になった。本当はもう少し抱っこされていたかったけれど、そこまで大胆にはなれない。だいたい今のこの状況だって俺にとっては想像を絶する出来事なのだ。遠藤君が俺の部屋の中にいる。それもお姫様抱っこして連れて来てくれたのだ。この事実だけで夜のおかずが一年ぐらい保ちそうだ。
「風呂、沸かします?」
 遠藤君の口から「風呂」なんて言葉が出るなんて……。そんな……隠微な……。それだけで卒倒しそうだ。
 でも俺の口から出た言葉は、全然俺の気持ちを裏切っていた。
「いや、シャワーだけで。というか、ほんと一人で大丈夫だから」
 ああ、俺の馬鹿、馬鹿、馬鹿! 
 洗ってくれって言えばいいじゃないか。男同士なんだし、背中の寄せ書きっていう大義名分だってあるんだから、軽く「じゃ、お願いしようかな」って言えばいいだけなのに。遠藤君はきっとなんの躊躇いもなく面倒をみてくれるはずだ。彼だって体育会系なんだから、先輩の背中流すぐらいやってたんだって。俺が考え過ぎなんだってば。
「でも、せっかく落とす方法教わったんだし、落とせるんだったら、人がいるうちに落としといた方がいいと思いますよ?」
 正論だ。もっともだ。遠藤君は何も間違っちゃいない。一人で意地張って何日も寄せ書きを背中に残しておくよりもその方が合理的なのはわかっている。
「俺は全然構いませんから。遠慮しないでください」
 遠慮してるんじゃないって。洗ってほしいけど、遠藤君が構わなくても、俺が構う事情があるんだよ。
 だって、部屋に入る前に抱っこなんかされちゃったから、俺、軽く興奮してるんだよ。なんだか半勃ちになっちゃってるんだよ。これで背中なんか洗われてみろ。俺、絶対、形変わっちゃうから。完全に勃ちあがっちゃうから。そんなもの遠藤君に目撃されたら俺死んじゃうよ、きっと。
 一人で悶々と考えていたら、遠藤君が妥協案を出してくれた。
「じゃ、シャワーは自分で浴びるとして、背中だけ落としましょうよ。背中だけ出してくれたら俺拭きますから。背中だけなら恥ずかしくないでしょ? ね」
 遠藤君は俺がよっぽど恥ずかしがり屋だと思ったのか、宥めるように、子供に諭すようにゆっくりと説得してきた。これ以上固辞するのも不自然だと思った。せっかく親切に言ってくれているのだから、ここは勇気を持って甘えようと決心した。
「……それなら、いいかも。……じゃあ、お願い、しようか、な」
 蚊の泣くような声で承諾すると、遠藤君がぱっと笑った。それは本当に「ぱっ」っていう笑顔で、音が聞こえるような、全部が開いた感じ。遠藤君のこの顔を見るたび「あ、好き」って思ってしまう。
「やっと許可が出た。じゃ、どうします? 先シャワー浴びてきちゃいます?」
 本当は先にシャワーを浴びて早くさっぱりしたかった。べとべとした髪を何とかしたかった。だけどその間遠藤君を待たせることになる。
「あ、でも。遅くなるから」
「平気ですよ。近いから、タクシーですぐだし。明日、日曜日だから」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えようかな。ごめんね。すぐだから」
「ゆっくりでいいですよ」
「適当にしててよ。テレビとか、雑誌とか勝手に見て構わないから。ビールでもあればいいんだけど、うち、酒置いてないし」
 そう言ったら、遠藤君はちょっとびっくりしたように目を見開いた。そう。俺は部屋で一人では飲まない。外で誰かと飲むのが好きだから。でも今日、遠藤君が来てくれるのなら用意しておけばよかったな。自分の部屋で二人で飲むのは、さぞかし……楽しいだろう。



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