INDEX
明るいほうへ
2

 俺の言った答えが正解か不正解かは、あからさまにほっとした様子の秋元君を見ればわかる。真実かそうでないかは、この場合問題ではない。
「ひっでぇ噂流すなー。誰だよ、そういうくだらない嘘つく奴」
 何となく見当がつく。派遣で来ている事務方の女の子達だ。その中の一人がいつからか俺に頻繁に話しかけ始めたかと思っていたら、そのうちなんだか妙に親しげにすり寄ってくるようになった。弁解するつもりは毛頭ないが、俺は断じて嬉しい素振りも、思わせぶりな態度もとった覚えはない。断言できる。何故ならホモだから。
 その彼女がゼロを一つ間違えたまま受注書を制作して発注してしまうという、重大な入力ミスをやらかした時「ああ〜ん、どうしよう〜野坂さぁん」と甘えた声を出したから、「どうしようじゃないでしょう。直ちに対処してください」と、お願いをしたのだ。あくまでお願いだ。クネクネクネクネ、ワカメのように揺れている彼女に、踊っている暇があったら仕事をしてくださいと、お願いをしただけなのだ。
管理している側のこちらの責任ももちろんあるから、フォローするのにその週は毎日残業した。始末書だって書かされた。それだけ苦労したのに、ミスした本人は申し訳ないと謝るどころか、俺が仕事のために話しかけても無視をし、そのうち女の子達が俺を遠巻きにしながらヒソヒソとなにやら相談するようになった。どうせ「冷たぁい」だの「意地悪ぅ〜」だの、悪口を言っているのだろうと見当はついていた。
 見当はついていても、目くじら立てて怒鳴り込む気力もなし、そのうち契約の期限が来て更新しなければいいことだしと高を括っていた。ホモ疑惑とは、そう来たかという感じだ。なかなか鋭い所を突いてくるじゃないか。
「俺、噂は嘘ですって、明日から言って回りますから」
 人のいい遠藤君が俺の代りに憤慨してくれている。
「いや、やめてくれる? そういうのってむきになるほうが負けだから。俺気にしてないし」
「そうですか? うー、なんだか納得できないような気もしますけど。やっぱり野坂さんって大人だなあ。そうか、そうですよね。人の噂も四十九日っていうし」
「おいっ」
 すかさず突っ込みを入れてくれた秋元君に「なに?」と、きょとんとしながら聞き返している。
 今のは本気で言っていたのか……。やっぱり面白いなあ、遠藤君は。
 俺のホモ疑惑もなんとか解けて、ホッとしながらメニューを眺めた。これでうまい酒が飲める。
 正直言うと、俺はあまり酒が強くない。だけど飲むのが好きなのだ。こういった居酒屋の雰囲気も、仲間と飲んで騒ぐのも好きだ。少し飲んだだけで体がふわふわする、その感じもいい。
「でもさー。なんだ、そっかぁ。野坂さん違うのか」
 なおも残念そうに遠藤君が話題を引きずる。俺としてはこれ以上あまり触れられたくない話題だが、噂がデマだとわかったとたん、単なる面白い話になってしまったようだ。秋元君まで乗ってきた。
「なんだ? 遠藤、やけに残念そうじゃないか? もしかしてお前、野坂さんのこと狙ってたのか?」
 ドキッとした。それが本当なら光栄なんですけど。
「馬鹿。俺は女性専門です。女好きです」
「高らかに宣言されちゃったよ。恥ずかしいやつ」
 あははと笑って枝豆を放り込んだ。そりゃそうだ。そんなに世の中甘くない。
「いや、噂聞いた時さ、俺、あ、それ、ありかもって思っちゃったんですよね。いや、ごめんなさい」
「ほんとお前失礼だよ」
「だってさ、野坂さんてほら、ガツガツした感じしないでしょ? 女性に対して。こう、不思議オーラが出てるっていうか。あ、仕事は別ですよ。俺、すげ、尊敬してるし」
 ガツガツしようにも、女性に興味が湧かないわけだから、ガツガツしようもないんだよね。男にガツガツしてたら、それ、変な人だし。
「あ、でも、俺もそれわかります。野坂さん、飄々としてるっていうか、掴み所ないっていうか、見た目も清潔な感じするし」
 秋元君も隣で頷いている。
「ふうん。そんな風に見えるんだ、俺って」
「はい。動物に例えると、なんだろ? 肉食獣って感じはないですよね」
 うーん、と二人して考え込み始めた。俺もなんだろうって考えた。飲んでいる席でのこういう話は楽しい。秋元君と遠藤君も動物だと何になるのかな。
「秋元君は、あれだな。犬? それも高級な外国のじゃなくて、国産の丈夫なやつ」
 えー雑種かよーと、それでもまんざらでもないような声を出す秋元君。
「野坂さん、俺は、俺は?」
「そうだなあ、遠藤君は……犬って感じもあるけど、もっとこう、攻撃的なっていうか、肉食は肉食だろうな、野生っぽい。動物園にはいないタイプ。でも難しいな、今、これっていうのが思いつかない」
「じゃあ、また今度まで考えておいてくださいよ」
「そうだね。ぴったりなのを考えておくよ」
 はい。と小学生のような返事をして遠藤君がにっこりと笑う。ああ、遠藤君。今夜のおかずをありがとう。俺も微笑み返した。心の中はがっつきまくりだ。
 だからつい本音が出た。
「ほんと、面白くて可愛いなあ、遠藤君は」
「あ、野坂さん、惚れちゃいました?」
 やっとそれた話題を自分で蒸し返してどうする、と慌てたが、そこはそれ、大人の対応で「あ、ばれた?」と軽く笑って見せた。内心はバクバクいっていたけれど。
「駄目ですよ。俺に惚れちゃあ。俺、女一筋ですから」
「だから、高らかに宣言するなよっつうの! みんなわかってるから」
 あはは〜、振られちゃったと笑う自分がほんの少しだけみじめだった。
 ――告白もしていないのに失恋してしまいました。
 しょうがないから今日は奢ると言ってやった。えー、ご馳走様ですと二人が頭を下げる。いやいや、今日は楽しいからと手を振った。すみません、ありがとうございますと笑う顔が俺へのご褒美になる。



novellist