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明るいほうへ
21

 布団にくるまったまま一日過ごした。
 何をする気も起きず、布団の中でボウとしていた。
 頭から追い出そうとして、出来なかった。
 自分の放った言葉と、それをぶつけられた彼の顔を思い出し、枕を抱いて丸まった。このまま消えて無くなりたいと思った。
 夕方になって、どうにも腹がすいて蒲団から抜け出し、ラーメンを作った。麺と粉末スープだけのラーメンをすすりながら、こんな時にも腹が減る自分が可笑しかった。
 可笑しくて、ふ、と笑ったら、丼に涙が落ちた。
 消えて無くなりたいほど落ち込んでいるのに、ラーメンを啜っている。これが自分の本性だと思うと、また笑えた。
 ははは、と声を出しながら、大きな音を立ててラーメンを啜り続けた。汁が顔にも着ていたTシャツにも飛び散って、脱いで顔を拭いたら、兎みたいだと笑っていた顔を思いだし、シャツに顔を埋め、声を殺して泣いた。
 日曜日になって、外は晴れていた。どんなに泣いても消えてなくならない俺は洗濯をした。空はキンと晴れていて、いろんなものを乾かしてくれた。
 近くのコンビニに買い物に出た。野菜と卵を買ってきて野菜炒めを作り、久しぶりに飯も炊いて食べた。消えてなくならないのなら、元気になるしかないじゃないか。野菜と一緒にビールも買った。これからは買い置きもしておこう。一人が寂しいなんて甘えたことはもう言えないと思った。寂しい夜はきっとこれからだってずっと続くのだから。
 月曜の朝、電車に揺られながら、小学校の頃のことを思い出していた。くだらないことで親友と喧嘩をして、くさくさしたまま週末を過ごして登校した、あの日の朝にそっくりだった。
 教室に入って真っ先にお互いの姿を探して、それなのに牽制し合ってなかなか仲直りが出来なかった。緊張したままこう着状態が続いた昼休み、「ドッジやろうぜ」と怒ったように誘われてふてくされたようにして校庭に二人して走った。そのあとはもう元通りになっていて、結局どちらも謝らなかった。思えばあれが初恋だったなあと甘酸っぱい気持ちになる。
 あの頃よりは俺だって少しはましになっているはずだ。だから大丈夫だ。きっと大丈夫。
 何年も前の朝と同じように、彼の背中をすぐに見つけた。ポンと肩を叩いて「おはよう」と声をかけた。一瞬こわばった体が恐る恐るといった感じで振り返った。
「……あ、おはようございます」
「だいぶ冷えるね。熱かんとおでんの季節だ」
「はい」
「美味しい店があるんだよ。今度みんなで行こう。おかみさんがけっこう面白い人でね。きっと秋元君あたりと気が合うと思うよ」
「そうですね。ぜひ」
 声をかけた瞬間の顔を忘れられない。彼らしくない、窺うような表情をしていたのが、ぱっ、と変わったのがわかった。大好きな笑顔。全部開いた感じのあの顔。
 何も変わらない、変わらないんだよと示し続けた。三人での仕事。三人でのランチ。三人での飲み会。タクシーで送ってもらうのも変わらない。彼が嫌なんじゃないかと思ったが、駅でも普通について来て、前と変わらずにタクシーに一緒に乗り込んだ。降りた後、俺を見送ってくれることも変わらない。俺ももういいよとは言わなかった。
 猿芝居をしているような虚しさに襲われることは時々あった。でもそのうちに慣れるだろう。変わらないでいることを望んだのだ。触れないでおこうと、あの日のことは無かったことなのだと言い聞かせた。
 いつか俺の吐き出した毒は、乾いてしまった泥はねのようにしつこくこびりついている。だけど無理矢理にそれを洗い落とそうとはしなかった。心ない言葉で彼を傷つけてしまった事実さえもなかったことには出来なかった。



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