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明るいほうへ
22

 師走に入り、なんとなく慌ただしい時期になった。俺の日常は変わらない。忘年会で大勢と飲む機会が増えて、部屋でも寝酒の一杯をするようになったことぐらいか。
 部長に呼ばれて話をしていたら、昼休みのタイミングを外してしまったから、その日は一人で社食に行った。二人の後輩は先に済ませてしまったらしく、姿は見えなかった。仕事の形態はますます進化して、俺抜きで回ることも頻繁になっていた。優秀な二人は着実に育っている。 
 窓際の明るい席で直美ちゃんが同僚たちとお茶と飲んでいるのを目にした。そういえば交際はどうなったのだろう。秋元君情報は最近芳しくなく、彼があまりそのことに関して口を割らないと言っていた。秋元君の最近の興味は迫るクリスマスに彼がどうするのか、また秋元君自身はどうなるのかということらしかった。
 午後の外回りは二人の後輩に任せて俺は社で雑用をこなした。終業間近になって秋元君から今晩飲みませんかとお誘いがあった。いつもの三人で。もちろん異存があるはずもない。
「いいよ。どこにする? おでんにしようか。おかみさん秋元君のこと気に入ったみたいだよ」
「いえ、今日はもうちょっと落ち着いて話せる感じのところがいいです」
 ふうん、と相槌を打った。別にどこでも構わなかった。じゃあ、駅前の料理屋でということになって電話を切った。もしかして秋元君にも滑り込みセーフでクリスマスに一緒に過ごす相手でも見つかったのだろうか。それなら話をきいてやらなくちゃな、と仕事を急いで片付けた。
 店に入ると二人は先に着いていた。神妙な顔で座っている。俺が来るまで待っていたのかと早足で席に向かった。
「なんだ。先にやっててくれてよかったのに」
 店員からおしぼりを受取り三人分のビールを頼んだ。なんとなく二人の様子がおかしい。
「どうかした? なにかトラブルでも?」
 仕事上のトラブルならここに来る前に連絡が入っただろうけれど、そこまで大変なことではないということなのか、それとも別のことなのか。見当もつかない。
「野坂さん、今日お昼、部長と話してたでしょ?」
「うん」
「部長、何の話だったんですか?」
「今後の仕事の運び方のこととか、二人がすごくよくやっていることとかだよ」
「それだけですか?」
「いろいろ話したからなあ。俺の希望のことも話したし」
 質問するのはもっぱら秋元君の方で、その隣に座っている彼は何も言わないまま俺の顔をじっと見ている。
「やっぱり。野坂さん、転属願い出したんですか?」
 ああ、そのことなのかと納得した。
「今日、俺らも部長に呼び出されて、野坂さんのこといろいろ聞かれました。仕事に意欲はみられるかとか、なにか、その、人間関係でトラブルはないのか、とか」
「そうか。それは不安にさせちゃったね。ごめん」
 うちの社には効率アップや、意識向上のためにたくさんのマニュアルがある。上司が部下を指導するときなどに「Aついて理解をしているか」「Bについて処理ができているか」などの細かいチェック項目があり、それを定期的に行動評価として提出する。部下の方も同じように上司の指導が適切かどうかなどの報告義務があり、お互いにそれをまとめる。また自己管理についても同じで、アンケート方式で今の自分についての評価もする。チェック項目の数はかなりあり、また機械的にシートを潰していけばいいものでもなく、そこに自分の言葉で埋める部分も多々ある。そうしながらお互いに向上をめざして円滑に業務を施行出来るようにしてあるのだ。
 俺は今回のアンケートに「転属を希望する」と書いて提出をした。研究開発へ移りたいと、今日部長にも報告をした。今のこの仕事ももちろんとても……とても楽しいけれど、自分のやりたいことが何となくわかってきていた。転職のことも視野に入れての希望だった。
「不満があって移りたいんじゃないよ。それは部長にもちゃんと言った。やりたいことがあるんだ」
 前から朧気に考えていたことを二人に話した。肉体を作るということ。壊さないということ。故障したときにはどのような有効な道があるのかということ。そして、メンタル面はどうしたらいいのかということ。それを知るために自分はどうすればよかったのかをずっと考えていた。そして、とりあえず動き出してみようと思った。
 二人は真剣に俺の話を聞いていた。俺も懸命に語った。こんな風に考えるようになったのは君たちに会ったおかげだと。人を教育してみて初めていろいろなことを教わったのだと。だから、君たちも――君もいつか自分に何ができるのだろうかと考えてほしいと。
 焦ることも、今すぐに見つける必要もないけれど、いつかそれが分かってもらえたら、彼の持つ『傷』の意味も違ってくるような気がしていた。



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