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明るいほうへ
23

 年が明けた。
 退屈で酒浸りの年末年始を過ごした俺に、またいつもと変わりのない日常が戻ってきた。
 秋元君情報は最近ますます滞り、一層口が固くなったらしい彼の交際関係は全く分からなくなった。だから、クリスマスを誰と過ごし、年末年始をどう過ごしたのかを、俺は知らない。
「最近どうも怪しいんですよね」
「そうなの?」
 大学からの帰り道、諜報員が最近の彼の不審な行動を報告してきた。
 戸部君のいる大学へのアドアイザーはまだ続いている。年明けから秋元君も連れて行くようになった。部署が変わったら俺が続けられるかわからなかったし、もし人事交代があれば秋元君が引き継いでくれればいいと思っていた。まあ、秋元君にしてみれば、行ったついでに戸部君たちと馬鹿話ができるからついて来ているといった感じみたいだけれど。
「帰る時になるとそわそわしてるっていうか」
「ふうん」
「特に木曜日。あいつ絶対どこにも寄らないでそそくさと帰るんですよ」
「直美ちゃんかな。佳子ちゃん? どっちだろう」
「どっちでもないです、たぶん。あの二人は自然解消になったみたいですよ」
「そうだったんだ」
 知らなかった。知るはずもない。聞かないし、彼も言わない。
「どうも今回は本命って感じがしません?」
「わからないよ、俺には」
「今度の木曜日に誘ってみましょうよ。それで断ったら、なんでだって聞いてみましょう」
「うーん」
 ね、ね、野坂さんも知りたいでしょって言われて曖昧に笑った。本音は知りたくない。
 そして木曜日。
 気が進まないまま「今日、どう? 飲みに行かない?」って誘ってみた。後ろでは秋元君が背中を突いている。
 彼は凄く困った顔をした。
「あー、えーと、すみません。今日はちょっと……」
 ほらほら、と背中できつつきのように突かれる。
「あ……残念だ、ね。どうしても、だめなの?」
「すみません」
「そっか、じゃあ、しょうがない、ね」
 諦めるなと、後ろのきつつきがツンツンツンツンうるさい。
「あ、約束? なにか、大事な……人、とか」
 そう聞いたら彼は一瞬止まって、それから笑った。
 あ、こういう笑顔を見たことがある。こういう、蕩けそうな顔。戸部君が先輩の話をするときに浮かべる笑顔。それから彼のことを想って俺もこんな顔してるだろうなって感じたときのような笑顔。
 本当にすみませんと言って、秋元君の言ったとおり、そそくさと帰って行った。
「ね、あれは、そうでしょう」
 きつつきが後ろから確信を持った声で囁いた。
「……そう、みたいだね」
 ふうん、そうか。そうなのか。ふうん。
 きつつきがあんまりしつこく突っつくから、大きくなった穴が、胸まで空いちゃったじゃないか。


 初めてのセックスは、実にあっけなくて、痛かった。
 会社の前で秋元君と別れた後、なんとなくふらふらと歩きまわった。気がつくと、そこはネットや雑誌で調べたことのある界隈だった。俺みたいな奴が出会いを求めて集まる場所。
 本当は気がつくと来ていたなんて、嘘だ。空いてしまった穴をどうしても埋めたくてここへ来た。誰でもいいからやさしくされたかった。限界だと思った。
『木漏れ日』と描かれた看板の店に入ったのはどうしてだったのだろう。その言葉の響きに何かを思い出したからかもしれない。太陽の日差し、木漏れ日、蝉の声、二つの影法師。何年も前の出来事みたいに遠くて、笑ってしまうぐらい他愛のない小さな出来事。
 カウンターに座ってビールを飲んだ。
 座っていればそのうち声をかけてもらえるのかなぐらいに思っていたけれど、全然声はかからなかった。だいたい来る客は連れがいるのがほとんどだったし、一人で来ている客もマスターと話をしたり、静かに飲むことを楽しんでいるふうだった。
 この辺がそういう人の集まる場所だからといってここがそうだとは限らない。それに声をかけてもらおうなんていう考え自体がうぬぼれていることに気が付いた。
 そうだよ、馬鹿じゃねえの、俺。誘われるなんて都合のいい話があるわけないじゃないか。そんな魅力が俺にあるなら、今頃恋愛のひとつぐらいとっくに経験していたはずだ。
 自分の馬鹿さ加減に呆れて思わず笑った。ビールを飲んで、そのあと頼んだウイスキーはもう何杯目かもわからなかった。
「あんまり投げやりオーラ出していると危ないよ」
 いつからそこにいたのか、ドウジマというその人は俺の隣りで笑っていて、その口元が少し彼に似ているような気がした。顔全体は思い出せない。
 なげやりなんだよ。ほっといてよ。
「ほっとけないから言っているんだろ? 危ないおじさんに連れて行かれるぞ」
 いいんだよ。べつに。おれなんかどうなったって。
「ますます危ないな。ほら、タクシー乗り場まで送るから、帰りなさい」
 いやだ。かえらない。
「困った子だなあ」
 笑って言われたそのセリフに懐かしい心地よさを感じてドウジマさんを見返した。背格好も似ているような気がしてきた。
 だから、俺から誘った。ホテルに行こうと。
 ドウジマさんはやさしかった。
 だけど、初めてのセックスを堪能するには俺の体は酔い過ぎていて、すべての感覚が鈍くなり過ぎていた。湿った重たい沼で泳いでいるようで、鈍重な体は痛みだけしか汲み取らなかった。ドウジマさんだって、きっとちっともよくなかったに違いない。
 そんな俺だったのに、ドウジマさんは丁寧にやさしくしてくれて「あんまり自分をいじめるもんじゃないよ」と言ってくれた。
 俺よりも十歳年上だと言っていた――たぶんもう少し上だと思う――ドウジマさんの体は彼に似ているようで、全然違うと思った。年齢よりはきっと引き締まった体なのだろう、それでも柔らかい腹部に触れて「メタボ気をつけて」なんて思っている自分がいる。
 抱かれながら別の人と比べてそんなことを考えていることが申し訳なくて、同時に滑稽だと思った。




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