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明るいほうへ
26

「俺、うぬぼれ強いから」
「そんなことないと思うけど」
「いや、強いから。だから野坂さんが、好きな人は戸部さんじゃないって言った時、もしかして俺なのかなって、思って」
 ああ、届いていたんだ。俺の気持ちは、ちゃんと届いていたんだ。
「でも俺、どうしたらいいのかわかんなくて」
 それは、そうだろう。
「野坂さん、すごい怒ってたし」
「あの時は……ごめん。あとで後悔した。ひどいこと言って、ごめん」
「いや、それは俺が変なこと言ったから。俺ずっと戸部さんのこと疑ってて、ちょっとしつこかったから。でも、そのあと野坂さん全然変わらないし」
「……うん」
 だって、頑張っていたんだ。失恋したと思っていたから。そのせいで遠藤君を傷つけたと思っていたから。だから、変わらないように頑張っていたんだよ。
「まるで変わらないから、だから、やっぱり俺の勘違いだと思って」
「……勘違いじゃないと思うよ」
「本当?」
「うん。勘違いじゃない」
 遠藤君の顔がぱっと開いた。大好きな笑顔が向けられる。
「遠藤君が……好きだよ。俺が好きなのは……遠藤君だ」
 言えた。やっと言うことができた。……だけど。
 遠藤君の手がすっと伸びてきた。腕を掴まれて引き寄せられる。そのまま身を任せたい衝動を無理やり押しとどめた。
 嬉しかった。嬉しくて、嬉しくてこのまま遠藤君の胸に飛びつきたかった。でも、そう思うと同時に後悔の波がどっと押し寄せてきて、呑み込まれそうになる。
 馬鹿なことをしてしまった。今さら悔やんでも遅い。
 引き寄せた腕を拒絶されて、戸惑ったように遠藤君が俺の顔を見る。どうして? と心配げに見つめられたら、堪えていた涙が溢れ出した。
「俺……ひどいことした」
「野坂さん」
「遠藤君……が、好き……なの、にっ」
 しゃくりあげてしまってうまく話せない。
「ひっ、どい、ことっ……言って、ビール、投げたりっ、し……」
「大丈夫だから。気にしてないから」
 今度は強引に抱きしめられて、だけどとてもやさしく抱きしめられたから、ますます悲しくなって、止まらなくなってしまった。
「昨日も、あ、あんなっ……馬鹿な、こっ、こと、して……、俺、お、おれ、もう……あぁ」
 声を上げて泣きじゃくる。出来るなら昨日に戻りたかった。昨日の自分に戻りたかった。
 いい子だから泣かないでと、赤ん坊をあやすように背中を何度もさすられて、ますます嗚咽が止まらなくなっていく。
「俺も悪かったから。泣かないで」
「な、なんっ、にも、悪くない、よ、俺が、馬鹿っ、だか、ら」
「野坂さんが俺の約束のこと気にするから、俺、嬉しくなって。焼きもちやいてくれてるみたいで、嬉しくて、もっと妬けばいいのにって、意地の悪いことをしました」
「秋元君が……あやしいって、言っ……俺、聞くたく、なっ、なかったのに、秋元くんがっ、あれは、本命だ……って、それで、俺、あ、あんな」
 この期に及んで今度は秋元君のせいにしている。俺って本当に……どうしようもない。
「聞かれたときにちゃんと説明すればよかったんだ。だから、俺が悪い。ね?」
「だ、けど……」
「ほら、あんまり泣くと、また鼻が鳴っちゃいますよ」
 さっきからしゃくりあげながら、ふんぎゅっ、とか、んぎゃっ、とかいう間抜けな音が出ている。いつもこうだ。真剣になればなるほど間が抜けてしまう。
 遠藤君がタオルで顔を拭いてくれた。鼻血のついたタオルで。そんなことは全然構わなかったけれど。
「落ち着きました?」
 両手で顔を挟まれているから落ち着かない。どうしたらいいのかがわからなくて目を泳がせていたら、ふいに遠藤君の顔が近づいてきて、チュッとキスをされた。
「っ……!」
 びっくりして固まっている目の前でペロっと唇を舐めた遠藤君は「しょっぱい」と言いながら笑った。
「泣きやんでくれないと、キスできないでしょ?」
「なんで?」
 素朴な疑問だった。だって、今キスしたよね? 今のはキスじゃないの?
 遠藤君はちょっと目を見開いて、それからゆっくりと笑った。
「だって……」
 近づいてくる瞳がいつもと違うような気がした。やさしいようで、ちょっと怖いような。
 引き寄せられて、回された腕で仰向かされた。されるままになっている俺の唇が遠藤君の唇にぴったりと合わさって、全部をふさがれた。「え?」の形になっている唇の隙間から、厚くて柔らかいものが入ってきて中で蠢いた。逃げようにも逃げ場のない狭い空間でいいようにかき回される。
「んっ……っ……んふ……ふ……ふごっ」
 窒息寸前で解放されて、はあはあと息をした。そうか。鼻が詰まっているから、ふさがれると苦しくなるんだと納得した。おかしそうに遠藤君が笑っている。
「ね?」
 からかわれてる? 俺、面白がられてるのか? 
 完全に余裕を取り戻した遠藤君はゆったりと俺の反応を楽しんでいる。ちょっと悔しいけれど、だけど、あれは……あのキスは……
「……顔、洗ってくる」
「え?」
 急に立ち上がった俺に、今度は遠藤君が驚いている。
「涙止めて、ちゃんと出来るようにするから。待ってて」
 洗面所に入って冷たい水で顔を洗って、ついでにうがいもした。鏡に映った顔は泣き腫らして目が真っ赤だ。こんな顔で遠藤君は大丈夫だろうか。キスしたいと思ってくれるだろうか。だいたいキスしてほしくて顔を洗ってるっていうのは、どうなんだ? 俺凄く恥ずかしくないか? だけど、あれ、もう一度してほしい。すごく……気持ちよかった。



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