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明るいほうへ
27

 部屋に戻ると遠藤君は前と同じように待っていてくれた。上着を脱いで脇に畳んでおいてあったから、それを拾い上げてハンガーに掛け、自分の上着も隣に掛けた。彼の前まで行って正座をする。遠藤君がそんな俺を見てクスッと笑った。不安と恥ずかしさとで、どうしていいのかが分からない。
「あの……」
「野坂さん?」
 優しい声で名前を呼ばれて、俯いていた顔をやっと上げた。それでも自分から行動を起こすことができない。誘い方も分からないのだ。
「……俺、どうしたらいいのかな」
 正直に言った。遠藤君の手が伸びてきて、俺の顔をそっと撫でた。思わず肩をすくめる。
「……どうしてほしいですか?」
 温かい手が頬をさする。掌で包まれたまま、親指が唇をなぞった。それだけでさっきの感触を思い出して「あ……」と声が上がる。
「キス……してほしい」
 呼吸がしづらい。息の仕方を忘れてしまったようになる。
「キスしてほしい?」
 オウム返しに俺の顔を覗きながら囁くその声に、催眠術をかけられたように頷く。
「うん……さっきみたいな……」
 掌が離れていって寂しいなと感じる間もなく、体が引き寄せられた。素直に従って遠藤君の腕の中へ迎え入れられる。抱きしめられて、初めて自分から腕をまわして抱きしめ返した。正座したまま遠藤君の胸にすっぽりと収まっている。遠藤君の心臓の音が聞こえた。ドキドキと脈打つ鼓動に、あ、遠藤君も緊張しているんだと思ったら、少し落ち着いた。
 体を起こされて上を向かされた。見つめあったままお互いに顔を近づける。ふわっと柔らかい唇が触れた。そっと、壊れ物にでも触れるように。
「ん……」
 離れると寂しくて、触れると切なくなるやさしいキスを繰り返す。上唇を吸われて、チュッとくすぐったい音がした。触れるだけのキスに少し物足りなくなって、自分から押し付けてみた。そうしたら、顎を持たれて、自然と緩んだ隙間に遠藤君の舌が滑り込んできた。
「……あ」
 口腔をやさしく探られる。逃げ場がないことを知っていたから抵抗せずに迎え入れた。絡め取られて思うさま舐られる。クチュッ、と小さな水音がした。角度を変えて何度も侵入された。
 時々唇をずらして息継ぎをさせてもらう。やさしいけれど遠慮のない動きは、遠藤君そのものみたいだ。
「野坂さん」
 夢心地で閉じていた目を薄く開けると、愛しげに見つめる遠藤君がいた。
 お互いの唾液で濡れた唇に遠藤君の指が触れた。ゆっくりと一周した人差し指がそっと中へと入ってきた。
「ちから……ぬいて」
 言われるままに受け入れる。舌を捉えてやさしく撫でられて出ておいで、と促された。誘導されて外に出て、外気の冷たさにびっくりしてまた引っ込めてしまう。それでももう一度同じように辛抱強く説得された。怖くないから出ておいでと誘われて、今度はもう少し大胆に差し出した。遠藤君の唇がそれを包んでくれて、柔らかい粘膜の気持ちよさに恍惚となる。ご褒美みたいなキスだった。
「ん……ん……」
 夢中になって遠藤君を味わう。回した腕で遠藤君の背中に縋りつく。彼の少し硬い髪を指で梳きながらもっと、もっとと貪欲に求めた。そのたびに遠藤君が惜しみなく応えてくれる。
 気がつくとシャツのボタンがすべて外されていて、下から滑り込んできた掌にはっとしてその行方を追った。いつの間に? 遠藤君はいたずらが見つかった時みたいな顔をして、笑いながらキスをされた。そうなると抵抗を失ってしまう。
 シャツをはだけて、下のTシャツをたくしあげられた。その動作に俺が反応すると、首筋や耳にキスを落として動きを封じこむ。
「あ……あっ、えんど……くん……」
 首までTシャツを上げられて、慌てて身を引こうとしたのに、なんなく捕まえられて逆に引き寄せられた。正座をしていたはずの俺はいつのまにか膝立ちになっていて、遠藤君は俺の下にうまい具合に滑り込んでいて、まるで俺は遠藤君の膝の上に乗っかっているみたいになっている。本当に、いつの間にこうなったのかがさっぱりわからない。
 遠藤君の顔の位置はちょうど俺の胸のあたりに来ていて、ちゅっと小さな突起を吸われると、ビリっと感電したような感覚に襲われた。
「……あっ」
 ペロペロと尖った舌先で舐られて、軽く甘噛みされた。
「あっ……やっ……ん」
 変な声が出て動転する。どうしよう。抑えられない。
 ふいに、遠藤君の動きが止まった。じっと何かを見ている。
「遠藤君?」
 人差し指で胸の少し上の辺りをなぞられた。何かを確かめているみたいだ。彼の視線の先を追って、慄然とした。
「あ……」
 そこには昨夜の痕が残っていた。自分がしでかした馬鹿なことをやったという赤い印。
「……ごめ……」
 どうしよう、どうしよう、どうしよう。嫌われる。どうしよう。
 目の奥が押されたみたいになって、収めたはずの涙がまた湧き上がる。
「泣かないで。大丈夫だから」
 大丈夫なわけがない。そんなわけがないじゃないか。激しく首を振りながら、遠藤君の腕から逃れようとした。両腕を掴まれてそれも許してもらえなくて、顔だけ背けたままパタパタと落ちる涙を拭くことも出来ない。
「ごめんなさい……ごめ……な……さ」
 ふうっと溜息を吐かれて呆れられたとびくっとなる。遠藤君が起き上ってきて俺の体を自分の膝の上にちゃんと乗せた。膝にちゃんと乗るっていうのもおかしな表現だけど。
「本当に、怒ってないですから」
「だって」
「そりゃ面白くないですけど?」
「ほらやっぱり」
 またブワッと涙が溢れる。
「野坂さんが好きなのは俺なんでしょう?」
「うん」
「昨日はやきもちやいて自棄(やけ)になったんでしょ?」
「……うん」
「だったら俺も忘れますから、野坂さんも忘れてください。昨日のことは犬に噛まれたんだとでも思って」
「……いいの?」
「もう知らないおじさんについて行っちゃだめですよ?」
 ブンブンと首を振って約束をする。
「行かない。絶対ついて行かない」
 子供だ。まるで子供扱いだ。
 遠藤君は笑うと、もう一度その場所を確かめてから「ちょっと痛いの我慢して」と、そこに唇を寄せた。ズクッと喉の奥がかゆくなるような微かな痛みが広がって、唇が離れたそこにはさっきよりも大きな印が付いていた。
「あ……これ」
「昨日までは違ったけど、今日からは俺のものだから」
 あまりの器の大きさに改めてやさしい人なんだなと瞼が熱くなる。
「他は? ここだけ?」
 熱くなりかけた瞼が冷えた。
「……たぶん」
 ワイシャツを脱がされた。それからTシャツに手がかかって引っ張られる。
「あのっ」
 引っ張り返して抵抗をしたがあっさりと負けた。顎を上げられ、バンザイをさせられた。
 検分するみたいに隅々まで調べられた。腕を上げたり、背中を向けさせられて「はい、息吐きながら背中丸めて」って……健康診断ですか?
「上は大丈夫みたいですね」
「上はって……まさか」
 真顔でスラックスに手をかけられて飛び上がりながら後ずさった。
「ない! ない、ない、ない! 絶対にない! お願い! 信じて!」
 必死にお願いした。聞いてもらえなかったら舌を噛み切る覚悟だった。
 自決覚悟の俺を前に、ようやく諦めてくれたみたいだ。よかったとホッとして、脱いだワイシャツを拾って羽織ったら、遠藤君が吃驚した。
「えっ?」
 だから俺も吃驚した。
「ええっ?」
「……なんで着ちゃう? せっかく苦労してここまで脱いだのに」
「だって……」
 何となくそんな雰囲気じゃなくなった気がしたから。俺としてはお互いの気持ちがわかっただけで充分幸せなことで、これ以上のことは望んでいないと言えば……嘘になるけど、でもこれ以上望んだら罰が当たりそうな気がしていたから。
「随分謙虚なんですね」
「そういうわけじゃないけど……」
 おいでおいでと手招きされて、素直にさっきの場所に座った。遠藤君の膝の上へ。俺の躊躇のない行動に、遠藤君はちょっと驚いた顔になって、それから、ふむ、と何やら考え込んだ。



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