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明るいほうへ
6

「あ、いたいた。野坂さん!」
 聞き間違えようもない声が聞こえて顔を向けた先に、遠藤君が手を振りながらこちらに走ってくるのが見えた。
「あれ? どうしたの? なにか急用?」
 探してくれていた様子に仕事のことかと携帯を探った。着信に気づかなかったのかと思ったからだ。
「社食で探しても秋元も野坂さんも見つからなかったから、二人してどっか行ったのかと思って」
 暑いのに全力疾走したらしく、額にも首にも汗が流れている。仲間はずれはなしですよー。と笑う顔に白い歯と汗がキラリーン、と光って目眩がした。
 ああ、遠藤君。俺を探してそんなに走ってくれたのか?
 そう考えたら胸のどこかがビリリと破けたような痛みを感じた。
 恋をすると誰でも詩人になるというのは本当だなと思う。
だけど俺の場合、涙を流して愛の詩を歌いながら、その下半身は丸出しなのだ。
 遠藤君が俺に会いたくて走って来てくれたことに感激しながら、その汗をこの体に浴びたいと思ってしまう。遠藤君が俺の上で汗を滴らせている姿を妄想して、その場に倒れそうになった。
 今夜もおかずをありがとうと、露出狂の詩人が心の中で手を合わせていたところで、遠藤君が隣に座っている戸部君に目を向けた。
「こんにちは」
 のんびりと挨拶をする戸部君に、遠藤君も笑って応える。
「どうも。こんにちは。野坂さんのお友達ですか?」
「斉信大の学生さんで、戸部君。バレーの選手なんだ。ここで偶然会って。戸部君、会社の後輩の遠藤君。彼は野球をやっていたんだよ。甲子園でも活躍したんだ」
「へえ。すごいですね」
 凄いだろうと、いつかの部長のように遠藤君のことを自慢したかった。だけど、遠藤君はちょっと困ったように鼻の横をかいて「いや、全然。挫折しちゃったし」と小さく言った。顔は笑っていたけれど、あまり触れられたくない話題みたいに見えた。
 その時に気がついた。
 遠藤君の中で野球は終わったことではなかったのだ。本当は辞めたくなかったのだ。頑張りきったと思っていたのは俺だけで、彼はまだ引きずっていたのだ。怪我で辞めてしまった自分の目の前にいる、今も頑張り続けている戸部君をどう思っただろう。自分のことでもないのに偉そうに彼のことを自慢したことが恥ずかしくなった。
「来週の土曜日、うちで対抗試合があるんですよ。よかったらお二人で観に来ませんか。俺は出られるか分からないけど」
 空気が読めないのか、読む気もないのか戸部君が無邪気に誘った。
 仕事の上でも興味はあったし、趣味としてもスポーツ観戦は好きだったけれど、返事に困った。お二人でと誘ってくれているから、もし二人でいけるのなら、それは俺にとってデートみたいなものだ。本当だったら一も二もなく行くよ、と返事をしたいところだが、遠藤君は行きたくないだろうなと思ったから困ってしまった。
「いいですねえ。行きましょうか、野坂さん」
 えっ、いいの? と声には出さずに遠藤君を見た。
「後で時間とか場所とか教えてください。じゃあ、俺先に戻ってますね」
 え? 先に行っちゃうの? 俺も行くよと慌てる後ろで「じゃあ、メアド交換しときます?」とのんびりとした動作で戸部君が携帯を操作している。遠藤君は来た時と同じように走り去ってしまった。「ごゆっくり」と、極上の笑顔を残して。



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