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明るいほうへ
9

 戸部君のお酒は楽しいお酒だった。昼間と同じ穏やかな様子で、気がつくと物凄い量の酒を飲んでいるのに態度が変わらない。さすが、体の大きさは伊達じゃなかった。
 戸部君の彼氏は大学の一つ上の先輩で、彼についてここまで来たのだそうだ。大好きなバレーと、もっと大好きな先輩と一緒にいられて、自分は世界一の果報者だと言う。
「どっちから告白したの?」
「俺からです」
「へえ。で、すぐにOKしてもらったの?」
「まさか。初めは、ふざけんなって怒鳴られました。でも諦められなくて、何度もアタックして、そのたびに殴られるは蹴られるは」
「あはは。凄い根性してるんだ」
「大学まで追いかけて、好きですって言い続けて。俺の粘り勝ちですね」
「うらやましいな。俺にはそんな勇気も根性もない」
「自分でも不思議なくらいめげなかったんですよね。正直つらい時期もあったんですよ。駄目なのかな。諦めた方がいいのかなって」
 それはそうだろう。相手は同性なのだ。どんなに好きでも向こうに自分と同じ気持ちを強要することはできない。生理的に嫌悪する人だって少なくない。気持ちを伝えた時点でおしまいになってしまう。その時に失うものはきっと取り返しのつかない大きなものだろうと思う。だから俺は今までひたすら隠してきたのだ。太陽に当たったら溶けてしまうと怯えながら、小さくなって日の当たらない場所に身を隠すようにして歩いてきたのだ。
「でも、先輩は馬鹿野郎って怒りはしたけど、気持ち悪いとか、嫌だとかは言わなかった。突き放すことはしなかったから、俺も頑張りました」
 キリンのようにのんびりとした風情の戸部君は、本当はとても激しい情熱家なのだろうと思った。
 酒が進むにつれて、戸部君の話題は愛しい先輩ののろけ話になった。斉信大バレー部のセッターで、キャプテンでもある先輩は、すでに次のオリンピック選手候補だという。故障しないように、トレーニングや食事にも細心の注意を払っている。恋人としての甘い時間は全くと言っていいほどとれないが、それでいいという。戸部君にとっては先輩が第一で、先輩にとってはバレーが第一。それを支えるのが自分の役目だ。穏やかな眼をした優しい情熱家はそう語った。
 俺も遠慮なく遠藤君の話をした。彼がとても優しくて、可愛くて、大好きなんだと言えるのが嬉しかった。「好きだ」と言葉に出来るということは、なんて幸せなことなんだろう。
公園で戸部君の前で不用意に野球の話をして、彼を傷つけてしまったんじゃないかと気に病んでいること。直美ちゃんという彼女がいて、今頃デートをしているらしくて、本当はそれがすごく気になっていること。小さなことに一喜一憂してしまうこと。女性を愛せない自分の性質を悟ってから今まで、誰にも言わずに一人で悩んでいたこと。恋愛経験が一度もないこと。好きになった人としか抱き合いたくないのだと、青臭いことを恥ずかしげもなく語る俺を、戸部君は笑わなかった。
「いつか出会えるといいですね。野坂さんを大事にしてくれる人」
「うん」
「それが遠藤君だと、もっといいのにね」
「っはは。そんなに世の中は甘くない。でも……うん、そうなったらいいな」
 すでに許容量を超えてしまった酒に酔いながら、幸せな妄想をして笑った。たぶん今の俺は先輩ののろけ話をする戸部君が浮かべるのと同じ、溶けそうな笑顔を浮かべていると思う。
「こんな風に話すのは楽しいな」
「俺も楽しいです。やっぱり大学じゃ内緒にしてるから」
 蕩けたままの顔で戸部君に感謝の意を表する。
「遠藤君とデートできるのも、戸部君のお陰だ」
「ああ。楽しみにしてます。俺も先輩を見てもらいたいし。でも、格好良すぎて野坂さん、惚れちゃあ駄目ですよ」
 案外本気そうな顔をして戸部君が俺を睨んだ。睨まれてもやっぱりキリンだからあんまり迫力がない。
「わかった。なるべく惚れないようにする」
「なるべくじゃダメです。絶対に、です」
「わかった。なるべく絶対に、惚れないようにする」
 もうー、心配だなあ、先輩格好いいし。と嘆く戸部君が可笑しくて笑った。凄く楽しい酒だった。遠藤君と一緒にいる時の次にだったけれど。



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