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仰げば蒼し
16
 夏物をまとめたぐらいでこんな反応をする遠藤君が可笑しくて、同時に嬉しい。
 俺はもうそんなに怒ってもいないのに、一生懸命に機嫌を伺っている遠藤君が、本当に可愛いと思った。
 風呂から上がった遠藤君は、俺の向かいに座って様子を伺っている。
 いつもならすぐにおいでと手招きをするのに、今日はそれをしてこない。だけど、こっちを見る彼の顔が「来てくれないかな」と望んでいるのがわかるから、今日は俺のほうから彼の傍までいった。
 いつも呼ばれるのを待っていた俺は、ここでも初めて自分が与えられるばかりだったことに思い至る。
 呼ばれるのを待っていて、引き寄せられるのを待っている
 遠藤君のことが好き過ぎて、これ以上貪欲になって、引かれやしないかと、いつも顔色を伺って、距離をとっていた。今の遠藤君のように。
 そして強引なことをされたら今度は臍を曲げて、そんなときだけ先輩風を吹かせて叱りつけ、遠藤君を部屋から追い出してしまったのだ。
 いつものように、遠藤君の膝に乗った俺の頭を、愛しげに撫でられる。
 なんとなく久しぶりの安息を得たような気持ちになって目を閉じた。
「今日の試合。すごくよかった」
「うん。みんな頑張ったよ」
「ダイ君もピッチングよくなってたし。ヨシ君も素晴らしかったよ」
 最後の光景を思い出して、また少し鼻の奥がツンとした。
「それからあのバスター、よくあんなこと出来たね。驚いた」
「ああ、あれはまぐれ」
「そうなの?」
「相手のピッチャーがアンダースローでモーションがゆっくりだったから、一、二、三で数えてやれって言ったんです。でも、あんなのもう通用しない」
 それにしても、さすがだと思った。あれで試合の流れが変わったのは間違いない。
「あの時、遠藤君何を言ったの? 最終回の守りの時、みんなで集まってもめてただろ?」
「ああ」
 思い出したような笑顔は苦笑いだった。
「……負けちまえって言ったんです」
「え?」
「ナオキもチームを信頼してないし、他の奴らもなんだか他人事だし。だから、そんなにナオキの後ろ守るのがいやならダイに代われって。それなら負けても文句ねえだろって。そしたらみんな、勝てそうなもんだから、困惑して」
 あの時の白けた雰囲気を思い出した。活躍したナオキ君を笑顔で迎えたのはヨシ君だけだった。
「だから、そんなつまんねえ勝ち方するぐらいなら負けちまえって、俺はもう辞めるって言ったんです。なんだかお前らかっこ悪いなって」
 なんとまあ乱暴な。でも遠藤君の言っていることはわかる。子供達も理解したのだ。だって、結局は負けちゃったけれど、あんなにかっこいい負け方ができたんだから。
「かっこよかったよ、みんな」
「充が教えてくれたんだよ」
「え?」
「充が教えてくれた。今日ああいう試合ができたのも充のおかげだ」
「そんなことないよ」
「充がいてくれて……本当によかった。そうじゃなかったら俺、今みたいに野球出来なかった。いろんなことを教えてもらって、いろんなことに気付かされる」
 吃驚した。遠藤君がそんな風に思っていてくれていたなんて、考えもしなかった。
「今日、試合中に充見つけて、本当はすぐに試合なんかほっぽって、充んところに行きたかったんだ」
「それは……」
「でもそれやったら絶対あきれられると思って、我慢して」
 それであの試合展開だったのならたいしたものだ。
「負けちまえってみんなに言ったのも、半分はやつあたりで」
「遠藤君?」
「だって、俺がこんなに悩んでるのに、あいつらぐちゃぐちゃと小っせえことで揉めやがって」
 あんまりな言い草に噴き出してしまった。
 俺が笑ったから、遠藤君も少し笑って、それからどちらからともなく近づいて、口づけを交わした。
「……試合、来てくれないかと思った」
「行くって約束したじゃないか」
「うん。でも、もう来ないかもって、思った。野坂さん、すごく怒ってたし」
「そこまでは怒ってないよ。一昨日は俺も悪かった」
「なんにも悪くないです。俺が、嫌だっていうのにやめなかったから」
 怖かった。と、遠藤君は言った。
 今日、試合に来てくれるのか。ずっと怖かったと言って、俺を抱きしめる。
 試合中も、終わってからも、ここに来る間にも、怖くて仕方がなかったと、遠藤君は言う。
「部屋入ったら、俺の着替え渡されて、もうおしまいだって言われるのかと思った。もう別れようって」
 遠藤君の言葉に吃驚して、思わず体を離して遠藤君の顔を見返した。




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