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たったひとつ大切に想うもの
11

 病院にも家にも来なかった俊彦が部屋を遠慮がちにノックしたのは、事件から四日後の夜だった。
 俺の事件のことは当然知っている。他の誰に何と思われても、じじいに自業自得だと言われても平気だが、俊彦がどう思っただろうということだけが不安だった。顔を見せないのは、俺のことを汚らしいと思ったんじゃないかと思っていたから、部屋に入った俊彦が笑ってくれた時はほっとした。
「……大丈夫か?」
「平気だ」
 近づいて、耳に当てられているガーゼの周りにそっと触れてきた。
「痛いな……」
 歪んだ表情が俺よりも痛そうだ。
「大丈夫。ちょっと耳鳴りがするけど、だんだん良くなるって」
 俊彦に触られたら不思議と耳鳴りが止んだ気がした。
 俺の左耳を優しくさすってくれていた俊彦の右手が頬に滑ってきた。皮膚と違う感触に目を移す。その手は包帯にくるまれていた。顔ばかり見ていたから気がつかなかったのだ。
「どうしたの? 怪我した?」
 触れていた腕が降りて、俺の肩に掴まるようにした俊彦がうな垂れた。
「ごめんな」
「なんで俊彦が謝るんだよ」
「俺がちゃんと一緒にいてやれば。あいつらがお前の周りをうろちょろしてたの、知ってたのに」
 苦しげに俊彦が呻く。
「そりゃ……無理だよ。校舎も違うし、狙おうと思えばいつだって狙えるんだって。俺もちょっと油断してた」
 掴んだ腕が微かに震えている。
「……してやる」
「俊彦?」
 片耳が塞がれているせいで、呟く声がよく聞こえない。
「殺してやる。あいつら全員」
 いつも穏やかな俊彦のこんな過激な言葉を聞いたのは初めてだった。
「あいつらの所に行って来た」
 右手に巻かれた包帯に目を落とした俊彦が顔を歪める。
「殴り殺してやろうと思って。でも、止められた」
 悔しそうに呟く声に驚いて、俊彦の顔を見返した。
 俺が運ばれた後、事件を知った俊彦は、あいつらの所へ行って外へ連れ出し、殴り倒したと言った。殺してやるつもりだったと。
 初めはおとなしく殴られていた相手も、あまりの執拗な暴行に悲鳴を上げ、駆けつけた近所の大人に取り押さえられてしまったと、苦笑いの表情でこともなげに語った。
「死んで当然だ」
 包帯に巻かれた手の甲を撫でながら俊彦が言う。
「この次は止められないように、もっとうまく仕留めるから。お前の前に二度と現れないようにしてやるからな」
 心配するなと笑う俊彦を慌てて止める。
「いいよ、そんなことしなくても。無期停学になったし」
「そんなんじゃ駄目だ。俺は許さない」
 こんな怖い顔をした俊彦を見たのは初めてだった。
「それに引っ越すはずだ。じじいがそう言ってたし」
「どこへ逃げても探し出して殺す」
「やめろよ。そんなことしたら、お前警察に捕まっていなくなるだろ? それは絶対に駄目だ」
「……そうか」
 復讐すると言ってくれるのは有り難いが、それで俺の側から俊彦がいなくなってしまっては元も子もない。
「そうだな。お前を守れなくなるもんな」
 俊彦が笑った。
 そうだ。俊彦はずっと俺の側に居て、俺を守らなくちゃいけないんだ。
 いなくなるなんて許さない。
 痛いところはないか? 何か持ってこようか? といつもの笑顔に戻っていろいろと世話を焼こうとする俊彦に絶対俺から離れるなと強く命令した。勝手なことをして、俺の前からいなくなるのは許さないと何度も繰り返して言うと、俊彦は真面目な顔をして「わかった」と頷いた。
「他にはないか? どうして欲しい?」
 今はただ傍にいてほしかった。
 いつものように甘えて「泊っていけ」って言いたかったけど、なかなか言えなかった。
「泊まって」って頼んで俊彦が躊躇したらどうしよう。一緒のベッドに寝るのを嫌がられたらどうしよう。「汚い」って俊彦に思われたら……どうしよう。
「なあ、陸、今日泊まってもいいか?」
 誘えないでいる俺に、俊彦の方から言ってきた。
「でも……いいの?」
「なにが?」
「だって……気持ち悪くない? 俺」
「そんなことあるはずないじゃないか。陸は何も変わってないよ」
 強い口調で諭されて小さく「うん」と頷いた。
 俊彦と一緒に下に降りて行って、雪野に今日は俊彦が泊まるからと、夕飯のお願いをして、風呂の用意も頼んだら、雪野に変な顔をされた。
「またですか? 今日はもう入ったじゃないですか」
「入りたいんだよ。いいじゃないか。何日も入りたくないっていうよりいいだろ」
 微妙な表情を浮かべた雪野が「はいはい」と返事をした。
 俊彦を泊めるのに、少しでも汚い所を失くしたかった。綺麗に落としたつもりでも、俊彦は感じ取るかもしれない。どこか臭うかもしれない。誰にどう思われようと構わないが、俊彦にそう思われるのは耐えられないと思った。
 今日はじじいもばばあも家で夕飯を取るというから、俺と俊彦は台所のテーブルで雪野と三人で食べた。もう何年もじじいたちと一緒に食べることはない。朝の早い老人は夕飯の時間も早かったし、たとえ一緒の食卓についたとしても会話をすることもない。たまに俊彦が来た時は一緒に食べたりしていたけど、俊彦を独占したい俺はそういう時は部屋か、台所でとることにしていた。じじいもばばあも俊彦が一緒だとなんだかよくしゃべる。そのついでのように説教をされるのが邪魔くさかった。
 雪野はガサツで鈍感だから、俺の機嫌が悪くても、返事をしなくても別段気にすることもなく、どんな時でもよくしゃべる。うるさいが、長年のことでこっちが慣れてしまった。雪野の言葉は俺の耳には止まらない。ちょっとガチャガチャしたBGMだと思って我慢をしている。
 俊彦が泊まるのならと、デザートにまたプリンが出された。あいも変わらず能がない。俊彦が雪野の手作りプリンを美味しいと褒めたのがよっぽど嬉しいらしい。今日のプリンはいつもより大きくて、フルーツなんかを添えてあった。味はいつもと変わりはなかったけど。







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