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たったひとつ大切に想うもの
18

 学校の帰り道、森にマックに寄ろうぜと誘われていたが断った。
「なんでよ、夏期講習の計画しようぜ」としつこく追いかけてくる。地元のゼミに参加するか、それとも東京の予備校の夏期講習に申し込むのか悩んでいるみたいだった。
 俺は早くから東京へ行くことを決めていた。夏休みに入ったら、俊彦の所へ滞在しながら通う予定だった。
 俺がそう言うと森は「じゃあ、俺も東京にする」と簡単に決めてしまった。
「そういうの、あんまり簡単に決めるなよ。自分の進路とか、ペースとか、適性にあったやつを選んだほうがいいよ。適当なことをして後悔するのは自分だぞ」
 いつかの放課後以来、森と俺はしょっちゅうつるんでいる。他の連中とは相変わらず少し距離を置いた付き合いだったが、それでも森を仲介にして少しずつ話すようになっていた。
「陸の方こそ、東京のゼミだっていって、悪いことするつもりだろ。ずるいんだよ自分ばっかり。ああ、小野寺さんは何処に行くんだろ?」
「あいつはこっちのゼミに参加するみたいだよ」
「なんでお前が知ってるんだよ」
 森が腕を回して俺の首を絞める真似をした。
「いてて、話したから。俺にどうすんのかって聞いてきたから東京に行くっていったら、ふうん、じゃ、私はこっちで受けるってさ。じゃ、ってなんだよ。やなやつだ、相変わらず」
「なんで陸には聞いてきて、俺には来てくれねえの?」
「そりゃお前がでかい声で話すから、聞かなくてもわかるんだろ。離せよ」
「やだ。あー、どっちにしようかな。陸と小野寺さん。俺、どっち選べばいい?」
 苦しくてもがいていたら、森が「りくぅ」と道の真ん中で俺のことを羽交締めにしてきた。下校途中の生徒がそんな二人を見て笑いながら追い越して行く。
「離せって。俺帰りたいんだよ」
 今日は俊彦が帰ってくる日なのだ。大学は夏休みが早い。もう家に着いているはずだから、早く帰って顔が見たい。会うのは三か月ぶりだった。
「つれなくすんなよ」と尚もしつこく絡んでくる森と揉み合っていたら、背中から「陸」という俺を呼ぶ懐かしい声が聞こえた。
 森を背中にくっつけたま首を回すと、そこに俊彦が立っていた。もつれ合う俺たち二人を不思議そうに見ている。
「あー、早く帰りたがってたのはそういうことか。陸君のエッチ」
 森がひそっと俺の耳に囁いた。
「頑張れよ。俺が教えてやったとおりにな」
 にやにやしながら森が離れて顔がカアっと熱くなった。
「馬鹿。何言ってんだよ」
 怒鳴り返す俺を無視した森が、爽やかに「波瀬さん、お久しぶりです。帰ってたんですか?」と挨拶をした。俊彦が何か返事をする前に、「じゃあ、俺帰ります。じゃな、陸。また明日相談しようぜ」と言って帰って行った。
 三か月ぶりに会う俊彦は随分大人っぽくなっていた。再開したテニスに打ち込んでいるのだろうか、すでに日焼けをした肌は男らしく引き締まり、肩のあたりも少し筋肉が付いたような感じだ。
 森を見送っていた視線が俺に移る。顔つきも大人のようになっている。精悍という言葉がそっくり当てはまるような顔つきだが、目の色は昔と同じまま、優しげに俺を捉える。
「おかえり。迎に来てくれたんだ」
「ああ、早く着いたからな。学校へも顔を出そうかと思っていたら、陸たちが見えた。友達?」
「うん。渡部森っていうやつ。最近話すようになった」
「そうか」
 多分、俺に友達というものが出来たのは初めてのことだから、吃驚しただろうと思った。俺も驚いているぐらいだから。もう一度森の帰って行った方向に顔を向けてしばらく動かない。
「俊彦?」
「……ちょっと、吃驚した。陸のあんな顔初めて見たから」
「そう? そうかも。あいつ、変な奴なんだ」
「明日相談しようって、なんの?」
「ああ、夏期講習。俺が東京行くって言ったら、あいつもそうするって」
「そうなの?」
「知らない」
 俺にとってはどっちでもいい。森はいい奴だし、確かに俺の心を軽くしてくれたけど、でもやっぱり俊彦に比べればどうでもいい存在だった。
「帰る? 俺の部屋、寄ってく?」
「いいのか?」
 俊彦が俺をじっと見る。
「別に。だっていつまでも外に突っ立ってるわけにもいかないだろ?」
 憮然と答えた。森が変なことを言うからだ。なんだかうまくしゃべれない。気まずい間を埋めるようにいつになく早口でしゃべる。
「駅前のマックが新しくなったの、知ってる?」
「ああ、来るときにみた」
「森がね、そこ行こうってうるさいんだ。店員が可愛いんだってさ」
 普段メールでやり取りをしているから、特に目新しい話題はない。大学はどう? って聞いても、そうだなって答えられて次が続かない。どう? っていう聞き方が悪かったのか。そもそも俊彦ってこんなに無口だったっけ?
 自然と俺が話す形になって、話題はどうしても森の話になる。だって、森としか付き合いがないから、それしか話せない。
 自分の家について、そのまま部屋に上がる。前と同じように俊彦は雪野に挨拶をして上がってきた。今日はじじいもばばあもいない。なんだかどっかの記念パーティーに出ているらしい。久しぶりの俊彦の訪問に雪野がプリンを作ると張り切った。
「なんで今から作るんだよ。今日帰ってくるって俺言ったろ?」
「顔を見てから作る方が美味しく出来るんです」
 俺のいつもの悪態に雪野もいつものように言い返す。
「お夕飯の後にお出しますね」
 当然一緒に食べるものだと決めている。そのとおりなんだけど。
 部屋で二人きりになり、沈黙が訪れる。俊彦が俺の部屋に入るのはどれくらいぶりだろうか。卒業間近は忙しかったし、その前は受験だ。それに、夏、俊彦の部屋に行って以来、俺が二人でいることを避けていたから。
「勉強、進んでるか?」
「うん。なんとか」
 俊彦に貰った参考書もあるし、準備を始めたのも早かった。
「森もね、俊彦の推薦した参考書、使いやすいって」
「そうか」
 話はそこで途切れてしまった。気まずい。
 どうしよう。森。俊彦にキスしたいけど、キスしてもらいたいけど、誘い方がわからない。「俺の教えた通りに」なんて言ってたけど、お前の教えたのは精神論じゃないか。具体的なことは何一つ教わっていない。
 わたわたと部屋を行ったり来たりする俺の挙動不審な様子に俊彦が少し笑って「ちょっと落ち着いて座ったら?」と言ってくれた。「うん」と素直に頷いて、ベッドに座る俊彦の隣りにちょこんと座った。
「陸」
「なに?」
「って、俺以外が陸のことをそう呼ぶの、初めて聞いた」
「そう? そうかな。あいつ本当に変な奴なんだよ。「陸」と「森」って似てるって近寄ってきて。席が近いから何かと一緒にいることが多くて」
 俊彦の言葉に上の空で返事をした。そばにある手に触れようか。急に握ったらびっくりするだろうかとそんなことばかりを考えていたから。
「仲よさそうに道で絡まってた」
「絡まってなんて……」
 ここまできて、ようやく俊彦が俺と森とのことに拘っていることに気が付いた。もしかして、嫉妬している?







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