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たったひとつ大切に想うもの |
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道の先が明るくなって駅が見えた。俺の部屋は、線路を越えた反対側だ。 切符売り場の前にある支柱の側に、昼間見た女の人がいた。俊彦はまっすぐにその人の所へ走っていく。俺を振り返ることもない。 ブスだと思っていたのに、俊彦を見て笑う女の人は、照明に照らされて、なんだかとてもきれいに見えた。 笑いながら見上げる表情は、迎えに来てくれたことが嬉しくて溜まらないのだと、輝いている。 それは、見ているこちらが思わず笑ってしまいそうなほど、笑いすぎて捩れた身体が痛くて、痛すぎて、その場に蹲ってしまいそうなほど、幸福な顔をしていた。 俺はそんなふうに、迎えに来てくれた俊彦を見たことがない。 迎えに来るのが当然で、ちょっとでも遅れた俊彦を責めただけで、たとえ時間通りに来たとしても、あんなふうに笑ったことなんかなかった。 あんなふうに笑って、ありがとうって、嬉しいよって、腕に触れたこともなかった。 傲慢で、周りを馬鹿にして、俊彦のことだって、俺は馬鹿にしていた。 俺の言うことは絶対なんだって、俺だけが大事で、結局自分のことだけしか大事に思わない俺を、俊彦が見限ったのは当然のことだったんだ。 大切な人を待つ人と、大切な人を迎えに行った人は、幸福そうに……本当に幸福そうにお互いを見つめている。 向かい合う二人はとても似合っていた。 俺なんかといるよりも、ずっと似合っていた。 ぼんやりとその光景を眺めていた。客席から観る映画のようだ。俺とは関係なしに物語は流れていく。 そっち側は明るすぎて、俺には近づけなかった。 あそこはもう、俺の行く場所じゃない。 そのまま駅の向こう側への道に向かった。 挨拶をされても蝉の声がうるさくて聞こえないだろう。だから自分の部屋のある方角へ歩いて行った。明るい場所に背を向けて、夜の道へと入っていく。 部屋に帰って眠らないと。 蝉の声がうるさすぎて頭痛がしてきた。 薬を飲んで寝なくてはいけない。 もうすぐ学校が始まる。学校へ行って勉強をしなくてはいけない。自立して生きて行かなくてはいけない。 一人で。 俊彦に見限られた俺は、一人で家に帰らなければならない。これからはずっと、一人で生きて行かなければならない。勉強して、卒業して、就職して、一人で生きて行かなければならない。そのために大学に入ったのだ。 じじいの跡はきっと俊彦が継ぐだろう。俺よりもずっと優秀だし、じじいもその方がきっと安心だ。 じじいに迷惑をかけてはいけない。せめてじじいが納得するような職業について、あの家を出て行かなくてはならない。俺はわざわざ一回捨てられたのを拾われたんだから、それぐらいはやってやらないと、拾い損だ。 明日起きたら勉強をしよう。俊彦が渡してくれた参考書は持っている。俊彦が落とすなと言ったから、ちゃんと持っている。明日から始めなければならない。 だから今日は、薬を飲んでゆっくりと眠らなければならない。 蝉の声がうるさすぎて、何も考えられないから。 |
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