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たったひとつ大切に想うもの
30

 目を覚ますと、真っ白な世界にいた。
 天井もない。壁もない。床もない。白以外のなにもない場所に立っている。
 浮いているという感覚はない。床がないんだけど、でも、立っているっていうのは分かる。
 どこだろう、ここは。
 もしかして、俺、死んじゃったのかな。ここは死後の世界なのかな。
 天国なわけはない。だって、俺はいいことは何もした覚えがないから。悪いことや、嫌なことはたくさんした。じゃあ、地獄?
 とにかくなにもない。退屈だ。
 床がないのに俺の足はぴったりとくっついたみたいになって動くことが出来ない。
 やっぱりここは地獄で、俺は「退屈の刑」なんていう刑罰を受けているんだろうか。人を殺したわけじゃないし、騙してお金を取ったわけでもないから、こういう中途半端な刑を受けているのかな。
 じっとしていることしかできないから、じっとしている。時間の感覚もない。だけど、いくら立ってても疲れないから、やっぱり死んだのかもしれない。まあ、いいや。どうでも。
 時間の感覚もなくて、ただ立っているだけだから、どれくらい経ったのか、何日にもなっているのか全然分からない。
 せっかく静かになっていろんな事が考えられるって思ってたのに、何を考えたらいいのかもわからない。なんか、少しだけど、自分が馬鹿になっている気がする。
 こうやって馬鹿になって、考える気持ちもなくなって、そうしたら俺は消えるんだろうか。そうなったらいいな。眠る前に確かそんな風に思った事を憶えている。そうやって望み通りに消えてなくなったらみんな喜ぶだろう。いや、消えたんだから誰も俺を憶えていないか。どっちでもいいや。どうなるか俺にも分かんないんだから。ただ、俺が消えて無くなれたら、望みが叶ったってことで、ここは天国なんだって思おう。消える寸前に思おう。そう決めた。
 そんなことをずっと思って立っていたら、突然目の前の白に亀裂が入った。ニィーっと悪魔の笑いみたいな三日月の亀裂が縦に入って、その隙間から何かが出てきた。紙人形みたいな、ひらひらと薄べったい人型の紙。昔漫画で見た妖怪の「一反もめん」に手足を付けたようなやつ。そいつも白いけど、何でだか周りの白と区別がつく。やっぱり動いているからかな。
 その紙人形は俺の前でヒラヒラと変な踊りを踊った。俺の方に近寄ってきて、紙の手でペタペタと俺の体を触った。嫌だったけど、体が動かないから逃げられなかった。
 そのうちまた三日月の亀裂が入って、そいつはその隙間から出ていった。何だったんだろう。
 しばらくすると、また入ってきた。今度は三枚だ。一枚はさっきと同じで白かったが、あとの二枚は別だった。灰色一色なのと、もう一枚は全部が花柄だった。ここに来て初めて見る色に嬉しくなった。
 三枚は俺を囲んでやっぱりなにやらヒラヒラと踊り出した。なんだろう。俺を楽しませようとしているのか。でも楽しくないし、笑えない。顔が動かないからだ。
 そのうちの灰色が一枚俺の前に躍り出てきて大きく踊った。よく見ると三枚とも大きさが違う。灰色が一番大きくて、次が白、花柄は小さい。
 俺の前にきた灰色はいつの間にか赤い色紙を持っていた。踊りながらそれを小さくちぎって、俺の目の前にかざす。何だろうと見ていたら、いきなりぐいぐいと俺の口の中へその赤い色紙を押し込みだした。自分で動かせないから灰色に開けさせられた口に、無理矢理に入れられて困ってしまった。だって、紙だから食べられない。
 ヒラヒラと赤い紙が俺の口から落ちていって、灰色の紙人形が項垂れた。がっかりしたようだ。
 そんなにがっかりされても困る。ちょっと申し訳ない気持ちになった。紙たちは俺のことを仲間だと思っているのかな。でも、ごめんね、俺、紙じゃないからそれは食べられないんだよ。動かない口で一生懸命謝った。
 紙人形たちはしょっちゅうやってきた。枚数が増えているときもある。観察していたら、同じ紙人形が別の色になって来ていることに気がついた。灰色は黒や緑や青なんかで、花柄は水玉だったり、しましまだったりして、他の人形たちも時々色を変える。変わらないのは白だけだ。
 そうしてやってきては、相変わらず俺の前で奇妙な踊りを踊る。それから灰色だったやつが、色々な色紙をちぎっては俺の口に入れる。俺が受け付けないといつものように項垂れて帰って行く。
 これって新しい拷問なのかな。やっぱりここは地獄だったのかな。
 白と灰色は必ず来る。白は俺の体をペタペタ触り、灰色は俺の口に色紙を入れる。それの繰り返しだ。
 灰色ががっかりする度に、俺はごめんね、ごめんねと動かない口で謝る。そうすると、灰色は紙の手を出して、俺のほっぺたをサラサラと撫でる。まるで「泣かないで」って言っているみたいだ。
 ――大丈夫だよ。僕は、生まれてから一度も泣いたことなんてないんだから。







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