INDEX
たったひとつ大切に想うもの
35

 今思い出すと、本当にどうしてあんなに荒れていたんだろうと思うほど荒れていた。そう思って恥ずかしい話ですと告げると「本当にどうして荒れていたんだろうね」と逆に聞かれた。分からなかった。性格が荒かった。いつも何かにイライラしていた。何にイライラしていたんだろう。
「僕は生まれつき嫌な性格をしていたから」
「誰に言われたの?」
「言われていない。知ってた」
「どうして? 施設にいたときの事を憶えていないのに、どうして知っているんだろう」
「それは……その頃はきっと憶えていたんじゃないかな」
「一つでも憶えている? その頃何か、暴れたような記憶。両足を捻挫したときのような。例えば骨折するぐらい暴れた記憶とか」
 骨折したこと自体憶えていないんだから、答えられない。
 僕があんまり深く入り込まないように、戸倉先生は適当に僕の気持ちを散らしてくれる。その日話したことはそれくらいで、あとは好きな作家の話だとか、天気の話だとかに変わって、終わった。
 そして入院が一ヶ月に届こうとする今日。
 診察のためにやってきた先生に、来る前から書いて用意してあったスケッチブックを見せた。
「先生、僕の耳はいつ治りますか。大学の授業も始まって大分経ちます。体ももうほとんど前と変わりません。あとは耳だけなんです。健康なのに、こんなに長く入院しているわけにもいきません。入院費もかかります。祖父に迷惑がかかります」
 僕のいきなりの攻撃に、ちょっと驚いた顔をした先生は、いつものように笑って持参したスケッチブックを開いた。
「こういったケースはいつ治ると言えるものじゃない。焦らないでゆっくりと取り組んでいきましょう」
 だいたいそういった答えが来ると思っていたから、僕はそのまま自分のページを捲った。
「いつ治るのか分からないっていうことは、明日かもしれないけど、一年後とか、五年後とかもっと後かもしれないです。治るっていう保証もないなら、僕は別の道を考えないといけません。通院しながらでも構わないので、今の状態で自立する方法を教えてください」
 僕の文をゆっくりと読んだ先生が目を上げて「どうしてそんなに急ぐの?」と聞いてきた。答えを用意していなかったので今度は書いた。長い文章になった。
「難しい大学に受かりました。自分でいうのも何ですが、割と優秀な方だったと思います。努力もしたつもりです。このままなにか資格を取って、自立するつもりでした。そうでないと、祖父が僕を引き取った意味がないからです。一度捨てた子供を引き取って、とんでもない性悪な性格なのに置いてもらえたのは、僕が頭だけは優秀だったからです。本当は僕を跡継ぎにしようと思って引き取ったんでしょうが、僕には残念ながら、人の上に立つといった才能はありません。祖父の跡は他にも、もっと優秀な人材がいるから、僕が恥ずかしくない程度の職業に就けば、祖父も一応納得してくれると思います。何かの役に立てばと思って引き取ったのに、こんな情けない状態になるとは思っていなかったでしょう。ここにいるだけで費用が掛かります。引き取らなければよかったと後悔されるのが一番つらいです。生んだ親に捨てられて、引き取られた里親にも捨てられて、今いる家にも後悔されたら、僕は本当にいらない子になってしまう……」
 そこまで一気に書いたところで突然天井から水が落ちてきて、驚いて天井を見上げた。こんな立派な病院なのに雨漏り? 
 見上げた天井は雨が漏った形跡がなかった。染みも見つからない。だけど、僕の書いた文字は濡れて滲んでいる。僕は滲んでしまった場所を避けて書こうとしたけど、書く場所、書く場所に水が落ちてきて困ってしまった。
 先生が僕の頭をポンポンと叩き、スケッチブックを取り上げた。まだ書ききってない僕は返してもらおうと手を伸ばしたが、手でやんわりと制されて、それからゆっくりと頷かれた。
「言いたいことは理解出来ました」
 それから僕のスケッチブックを掲げて「これを陸君の家族にお見せしてもいいですか?」と聞いてきた。
 すごく迷った。いいかと訊かれれば、もちろんよくない。
「陸君の場合、問題は耳が聞こえないことではなく、聞こえなくなった原因なのです。それを探るのは、やはり時間が掛かります。そこには陸君の家族の問題も大きく関わってきます。そのためにこれをおじいさんたちにお見せしてもいいですか?」
「治療の役に立つのなら」と了承した。
「焦らずに、ゆっくりとやっていきましょう。でも、陸君の言い分も分かりました。だから陸君が自立して生活出来る道を探すことも考えながらやっていきましょう」
 そう言って、今日はここまでにしましょうかと、僕のスケッチブックを持ったまま、先生は出て行った。







novellist