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たったひとつ大切に想うもの
36

 午後になって祖父と祖母が揃ってやってきた。午後に来るのは珍しいことだった。
 顔を見ると、祖父はなんだか難しい顔をしていて、祖母の目は赤かった。
 僕のあのスケッチブックが原因だろう。怒られるだろうか。それとも呆れられているだろうか。散々反抗して、無視を決め込んで、自立するなどと息を巻いていたのに、こんなことになって、本当に迷惑しているんだよと言われるだろうか。
 祖母が突然ベッド脇に跪いて、僕の手を取った。両手で包んだ僕の右手を自分のおでこに当てて、震えだした。手の暖かさと違う、もう少し温度の低い別の温かいものが僕の手に触れて、それがすうっと流れ落ちた。祖母が泣いている。
 怒らせようと思って書いたつもりもなかったが、悲しませようと思ったつもりもなくて、申し訳なくなった。ごめんなさいと謝ろうと思っても、僕の手を握ったまま目を閉じているので、意思表示が伝わらない。
 困ってしまって、どうしていいのかわからないから、握られた手をもう片方の手で握り返して、それから祖母の手の甲をポンポンと叩いた。そうしたら、祖母の震えがもっと大きくなって握る力が強くなった。
 どうしようかと祖父の方へ顔を向けたら、今度は祖母の上から覆い被さってきた体に頭を抱きしめられた。祖父も震えている。
 三人でしばらくそうやって震えながら固まっていた。震えているのに、固まっている。
おかしな状態だ。だけど、それはとても気持ちのいい固まり具合だった。
 やがて一番上の祖父が離れて、そのあと祖母が顔を上げた。二人とも目が真っ赤で、少し照れたように笑っている。それから祖父が胸ポケットから封筒を取り出して僕に渡した。   
 何だろうと思って開けようとしたら、慌てて押さえられて、「あとで、あとで」と言っている。分かったと頷くと、祖父は祖母を連れて、病室から出て行った。出る間際に照れくさそうに「行ってから、読んで」と口を動かしたのが分かった。
ドアが閉まるのを見送ってから、封筒を開けた。
手紙が入っていた。

   陸へ

  先生に話を聞いた。スケッチブックも拝見させてもらった。
  陸の考えを知らなかった。すまなかったと反省をしている。
  いくつか訂正させてもらいたい箇所がある。

一、 陸を何かの役に立てようなどと思って引き取ったのではない。
二、 引き取って後悔をしたことも一度もない。
三、 自立をすることは大いに結構だが、無理をすることもない。ゆっくり探しなさい。
四、 入院費用などは一切気にしないように。
五、 陸はいらない子供などではない。
                                 
もっと話し合うべきだったと後悔があるとすればそのことだ。だが、先生は気がついた時点でやり直しがきくと言ってくれた。だから、今後はばあさんと陸と三人で家族のやり直しをしてみようと思う。陸の協力なくしては成し得ないことではあるが、どうか協力して欲しいと望む。
                                      以上
 
 何とも堅い文章に思わず笑ってしまった。「はーはーはー」と息が漏れて、自分が声を出して笑ったことに驚いた。
 祖父に頼んで買ってもらった手鏡を出して、自分の顔を確かめる。
 笑っていた。
 鏡の中に、訓練でも、作った笑顔でもない、本物の笑い顔が映っていた。







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