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たったひとつ大切に想うもの
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 実家での生活は穏やかに過ぎた。
 規則正しい生活をしながら、早川先生の教室に通い、自宅でも勉強をする。隣駅にある教室には運転手の波瀬さん(お父さんのほう)が送ってくれて、待っていてくれる。まだ、一人で出歩くには危険があった。耳が聞こえないから視界の外からの動きに対処できない。
 東京への通院は月に一度だけど、戸倉先生とは定期的にメール交換をする約束をした。何を書いて送ればいいのかと、レポート提出のような気構えでいた僕に「メル友になってよ」と笑われて、毎日じゃなくてもいいから、その日の出来事や、考えたことなんかを教えて欲しいと言われた。
 それからもう一つ、約束をした。
 無理をしない。頑張らない。
 僕だけじゃなく、それは家族全員で約束させられた。祖父が真面目な顔つきで「分かりました。無理をしないように頑張ります」と言っていた。
 家に帰った日の夕食は、雪野さんが張り切って色々な料理を作ってくれた。張り切りすぎて、とても三人では食べきれない量だった。僕は雪野さんに一緒に食べましょうと誘ったけど、慌てた雪野さんに目の前でもの凄い早さで手を振られた。だから、給仕をしてくれる雪野さんに感謝を込めて、食べている顔を心配そうに覗かれる度に、右手の親指を顎につけてよだれを拭くゼスチャーをして「美味しいよ」と言った。「美味しい」を示す手話だ。 
 雪野さんはその度にエプロンを無理矢理引っ張って顔に付ける。あんまり頻繁にそうやってエプロンを引っ張るものだから、腰に巻いていたエプロンがだんだんとずり上がってきて、食事が終わる頃には胸のすぐ下に巻かれていて、ちょっとおかしな格好になっていた。
 教室のない日は一日家で過ごす。部屋で本を読んでいることが多かったが、しょっちゅう祖父がやってきて「何読んでる?」と覗いたり、その後もウロウロと僕の部屋を歩き回ったりするから、そのうちに僕も自分の部屋ではなく、リビングにいることが多くなった。
 初めはお互いに気を遣って、何か飲むかとか、腹はすかないかとか、終いには「トランプでもやるか?」なんて言い出す。家族団らんなどというものに慣れていないのは僕だけではなく、祖父も祖母も同じだ。             
 そういえば、僕が小学生の時も、こうやって祖父は僕の部屋に来ていた。捻挫をした時も、心配して僕の足を看ようとしてくれたのに、僕は布団をかぶって拒否をしていた。説教をされるのがいやで、部屋にこもっていたけど、あの時も、もしかしたら祖父はこうして僕に話しかけたかったのかもしれない。意地を張らないで、リビングで話をすればよかった。そうすればもっと早く打ち解けていたかもしれないのに。
 そんなことを思いながら祖父のほうを見ると、僕と目が合った祖父は、一瞬期待のこもった顔をして、ソワソワとしだす。何でも言ってくれという意気込みが可笑しい。
 祖父の手紙に書いてあったことを思い出す。
 気がついた時点でやり直しができるのだと。
 不器用な三人組は、お互いを気にしつつ、黙って同じ部屋にいる。やがてそんな空間にも慣れていき、いつの間にか、自然といられるようになっていった。







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