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たったひとつ大切に想うもの
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「そう。仲がいいね。今も待っていてくれているの?」
 それにも頷く。
「幼なじみなんだよね。入院中もよく見かけた」
 病院では僕と波瀬さんが本当の兄弟だと思っていた人も多くいる。
「そうですね。とてもよくしてもらっています。本当の兄みたいです」
 僕がそう言うと、「そう」と言って先生は目を細めた。
「陸君は、彼の話をあまりしないね」
「そう……ですか?」
 波瀬さんの話は極力しないようにしていた。聞かれれば「感謝しています」「よくしてもらっています」と答えていた。それ以上はあまり語ることもない。本当に感謝をしていたし、よくしてもらっていたから。
 それに、やたらなことを言って、彼を困らせたくなかった。親切で頼もしい兄のような幼なじみは、それ以上であってはいけない。
 先生のさっきの言葉を反芻する。
 過去には戻れない。
 受け止めてしまった言葉は、取り消せない。
 それは僕に向けて放たれた悪意の言葉の事を言っていたのはわかっていたけれど、同時に自分がいつか波瀬さんに投げつけてしまった言葉についても言えることだった。
 酷いことを、本当に酷いことを言ってしまった。
 思い出す度に申し訳なさで一杯になってしまう。
 改めて、僕はこのことを心にとめておかなくてはいけないと誓った。戻れないし、決して取り消せないのだと。
 消えた関係は消えたままで、今更ほじくり返して波瀬さんに迷惑をかけてはいけないのだ。
「子供の頃からずっと仲が良かったんだろう?」
「そうですね。やっぱり今みたいに面倒をみてもらっていました。とても頼れる人で……感謝しています」
「電気のさ、チョクリュウって覚えてる?」
 先生がまた唐突に話題を変えた。「え?」と見返した僕を笑って見ている。
「まあ、僕より陸君の方が現役だからね。ほら、乾電池とか、プラスからマイナスに流れる、あれ」
 ああ、直流と交流ね、と頭の中で教科書をめくった。習ったのは小学生ぐらいの頃だ。
「クリスマスツリーなんかに付けるあの電飾もさ、直流なわけでしょ。今はLEDが主流になってるから、あんまり切れるってこともなくなったけど、昔はよく切れてさ」
 そうですか。と相づちを打った。ツリーなど飾った覚えもないし、興味もなかったから曖昧な顔になった。先生は僕の顔を見ながら楽しそうに子供の頃のツリーの飾り付けの話を続けた。
「箱から出して、コンセントに差して、点くかどうか確かめるわけ。それで点かない箇所があると、そこだけ取り替えるんだよ」
「はあ」
「直流だからさ、ひとつ豆球が切れていると、そこから先は点かないのね。一定の方向にしか流れないから。途中からばっさり点かないわけ。でも、ひとつ取り替えると点くんだよ。最後まで。ぴかぴかってね」
 父親に取り替えてもらって、手を叩く子供の姿を想像する。先生もそんな時代があったのかと少し不思議な思いがした。だけど先生だって人間だ。子供だった頃があるのは当たり前で、懐かしそうに笑う顔見ると、その頃の先生もきっとこんな顔をしていたんだろうと想像できて、自然と僕も笑顔になった。
「人の記憶も感情も似たようなものでね。枝分かれしたように複雑に広がっている部分も確かにあるんだけど、大切な幹はやっぱり一本で、そこのどの部分が切れても、その先は繋がらないんだよ」
 僕の目を見ながら先生はそう言って「声はまだ出ないかい?」と僕の喉もとをそっと触った。
 謎かけのような言葉にしばらく黙って先生の方を見ていた。何について言っているのか、わかるようで、わからない。
 それから先生は「今日はこれくらいにしましょうか」と立ち上がって僕を促した。「ありがとうございます」と挨拶をする僕に「また来月ね。それじゃあ波瀬君によろしく」と言って、手を振った。







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