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たったひとつ大切に想うもの
5

「それにしても、なにをやったら両足を捻挫するんだ?」
「知らない。机蹴ってたら先生が後ろから止めて、それで暴れてたらなんか、グギってなった」
「なにか言われたのか?」
 何もなしにはお前はやらないからなって俊彦が言った。
「うん。俺は貰われっ子だって言われた」
 俊彦が眩しそうに俺を見た。手はずっと俺の脚を擦っている。
「で、でも、本当の、こ、事だし、べ、別によかったん、だ、けど、なんか、とま、んん、なくなって」
 ひくひくと口が引きつって、スムーズに喋れなくなった俺の頭を俊彦が撫でる。
「それは……痛かったな」
「い、痛く、ない。全然っ、平気だ」
 そうか、そうだな、と俊彦が頭を撫でる。
 子供みたいな扱いに、まあ、確かに子供なんだけど、ちょっと恥ずかしくなって「湿布替えてくれ」と命令した。俊彦は笑って俺の言う通りにしてくれた。
 いつもそうだ。俊彦は俺がどんなに悪態を吐いても、どんなに馬鹿みたいに荒れても、笑っている。初めは頭が足りないのかと思ったけど、ずっとそんなだからこっちもだんだん慣れてきて、今はもうこいつの前だけでは怒らなくなっていた。
 不思議なんだけど、俊彦と話をすると今までの沸騰していた頭がすっと冷えて、力が抜けていく感じがする。力が抜けすぎて、今みたいにうまくしゃべれなくなる時もある。それでも俊彦は笑って俺が落ち着くのを待っている。決して動じず、俊彦自身も力を抜いた調子で傍にいる。変な奴だ。
「雪野さんが、おやつはプリンだって」
「またかよ」
「美味しいじゃないか。手作りだぞ」
「俺はぷっちんってするのがいい」
 俊彦が悪戯っぽくシィッって唇に指を立てた。
「それは雪野さんには言わないように。ショック受けるだろうから」
 雪野がショックを受けても別にどうでもよかったし、それにぷっちんするプリンの方が好きなことは、おやつにプリンが出るたびに雪野には面と向かって言ってしまっていたから今更遅いんだけど、ここは素直に「うん」と頷いておいた。この次からは言わないでおこうと決めた。
「下に行くか?」
「まだ歩けない。持って来て」
 しょうがないなと笑ってプリンを取りにいく俊彦の背中を見ていた。
 中学生になってから少し背が伸びて大人っぽくなった背中に声を掛ける。
「な、今日は家に泊まってよ」
「明日、学校だぞ?」
「家帰って明日の準備持ってきなよ」
 小学生の時はしょっちゅうこの部屋に泊まっていた。ベッドは大きいし、明日そのまま学校へ行けばいいと、強引に説得した。
「でもなあ」
「だって! 俺、また熱出すかもしれないし。俊彦ずっと来なかったし!」
「だから、それは部活で……」
 熱を出したり、気持ちが高ぶったりした夜に決まって見る嫌な夢がある。
 怪我をしてから毎日見る。
 今日は絶対に見たくなかった。
 俊彦がいてくれないとまた見るかもしれない。
 絶対に見たくない。だから俊彦は今日、ここに泊まるしかないんだ。
 言ったら俺がきかないのは分かっているから、ふうっとため息を吐いて、わかったと俊彦が笑った。
 俊彦は絶対に俺の言うことをきいてくれる。俺を突き放さない。
 それだけはわかっている。
 何も持たなくても、誰に嫌われても、誰も俺のことを気に止めなくても、それだけわかっていればいい。
 それだけが、俺のたった一つの大切なものなんだ。







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