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たったひとつ大切に想うもの
52

 家に帰ると、祖父と祖母が神妙な面持ちで出迎えてくれた。戸倉先生から連絡があったらしい。
 電話で気軽に話せることでないが、波瀬さんに全てを話してあるから聞いてやって欲しいと言われたと、やや緊張した様子で待っていた。
 四人でリビングに座る。
 お茶を運んできた雪野さんが、心配げに僕たちの顔を覗き、部屋を出て行った。
 波瀬さんが僕の隣で説明をする間、僕は膝に置いた自分の手をじっと見つめていた。
 波瀬さんがきちんと説明してくれることはわかっている。きっと僕が話すより、ちゃんとわかりやすく、冷静に話してくれていると信頼していた。
 ただ、顔を上げて、祖父たちの表情を見るのが怖かった。
 僕をいつも気遣っている穏やかな表情が悲しみに歪むのを見るのが怖かった。自分の娘が、ずっと誤解されていたことを知ってショックを受ける様を見るのが怖かった。たった一人の悪意が、ここにいる全員を不幸にしたという事実が怖かった。それを信じたまま、周りを憎み続けた自分の存在が怖かった。
 ポン、と膝の上に手を置かれて顔を上げた。
 波瀬さんが笑って僕をみている。
 大丈夫だよというように、僕の膝の上の手を擦ってくれている。
 僕はその手の温かさに勇気をもらって、そっと目の前の祖父たちの方へ向いた。
「陸……」
 祖父の口が動く。
「ずいぶん長いあいだ、つらい思いをさせたね。もっとはやく……母親のことを聞かせてやればよかった」
 後悔が口を吐く。ここにいる誰もが抱いている後悔だ。
 波瀬さんが隣で何かを言った。
「そうだった。悔やんでばかりいても仕方がない。今、それを知ったことが重要なことだった」
 祖父は笑い、祖母に何かを言った。言われた祖母が立ち上がり、部屋を出て行った。
「心当たりがあるよ。たぶん俊彦君が記憶しているその女の人だ」
 戻って来た祖母が持ってきたのは一冊のアルバムだった。テーブルに開かれたそれを、黙って覗く。
「あんまり……記念に写真を撮るような家族ではなかったから」
 薄いアルバムの中の写真は本当に数が少なかった。一ページに三,四枚の写真が貼られていて、それがわずか十ページほどで終わっている。
 それでも、母と思われる人の赤ちゃんの頃のとか、それを抱いて笑っている祖父や、入学式だろう緊張した三人の校門の前での写真などが整然と並んでいた。はにかんだような笑みを浮かべる少女はそれでも幸福そうにしている。
「ここまでで、終わっている」
 唐突に終わるページの最後に、女性が二人並んで写っていた。高校生らしく、二人とも制服を着ていて、学校で撮ったものなのだろう、後ろにある窓の外にはバックネットのようなものが写っていた。
 右にいる女性は笑っていた。子供の頃の写真の面影がある。
 母だった。
 初めて見る母親の顔は、僕に似ていた。
 笑っている表情はやはり幸せそうに見える。
 隣にいる女性に目をやる。同じ制服を着て、同じように笑う面立ちは母に似ているが、印象が違っていた。少し寂しげな、悪く言えば陰湿な感じがした。
 見覚えがあるような気がするのは気のせいだろうか。
「ああ。この人だ」
 波瀬さんが隣の女性を指さしていった。
「いとこだよ。昭子の」
 祖父の言う『昭子』という名は僕の母を指している。そのいとこと言うことは……。
「私の兄の娘です。一緒の高校へ通っていた」
 祖母が初めて口を開いた。
 祖母が吉沢の家へ嫁いだ時期と前後して、兄も嫁をもらったそうだ。子供を産んだ時期も近く、親しく付き合っていたのだという。だが、兄の仕事が躓き始めた頃から、その関係が崩れていった。次の事業に手を出しては失敗をし、その度に吉沢の家に無心に来たのだそうだ。
 初めのうちは身内のことだからと鷹揚に助けていた祖父も、こちらを当てにして、たいした準備も考えもなく次々と仕事を変えていく妻の兄にいい顔をしなくなった。祖母も嫁ぎ先で肩身の狭い思いをしたらしい。また、一人娘が親の意に沿わない結婚をしたり、その夫が事故を起こしたりとこちら側も他所のことに構っていられなくなった。
 これ以上は援助出来ないし、君も人を頼りにするばかりではなく頑張ってみたらどうだと、一度強く意見をして、それ以来連絡が途絶えたのだという。
 その兄が再び姿を現したのが、僕の母が亡くなり、僕を引き取ってきたばかりのことだったらしい。その時に一緒に写真の女性も連れてきた。
「陸が聞いていた、その……昭子の話だが、前半はこの隣の彼女自身のことだよ」







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