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たったひとつ大切に想うもの
56

 目を覚ましたら、辺りはすっかり夜になっていた。
 思う存分泣いた僕は、泣き疲れて部屋に戻って寝てしまった。本当に子供みたいだなと苦笑しながら体を起こす。
 目は重く、顔は熱を持ったように火照っていて、頭の芯がぼーっとしていた。だけど、何故が体は軽く、気持ちはすっきりしていた。
 ベッドの側にたたずんでいた人影が動いた。
「と……」
 夢の続きのように、思わず名前を呼びそうになった。
 波瀬さんが座って僕を見ていた。暗闇にまだ慣れない目は、彼の表情を捕らえることが出来ず、何かを言ってもきっとわからない。だけど、いつものように笑ってくれていることだけはわかった。
 目が慣れるのを待ってベッドに入ったままじっとしていたら、波瀬さんは静かに動いてカーテンを少しだけ開けてくれた。月の光がわずかに入って部屋を照らす。
 急に電気を付けたりしなかったことに感謝した。泣きすぎた顔はきっと腫れているだろう。
「花火大会、間に合わない?」
 せっかく誘ってもらったのに、迎えに来たら寝ていたなんて、とても悪いことをしたと思った。もうすぐ帰って行ってしまうのに。
「いいよ。また来年行けばいい。再来年もある」
 月の光にかすかに照らされた波瀬さんが笑って言った。
「うん」
 僕もそう思っていたよ。だけど、今年と同じように、来年もあるとは限らない。波瀬さんもそれを知っているじゃないか。
 そう思ったら、ふいにまた涙が溢れた。
 あんなに泣いたのに、まだ泣ける自分が可笑しかった。いったい何年分、涙を溜めていたんだろう。
 笑いながら泣いていたら、波瀬さんが僕の涙をそっと拭いてくれた。
 灰色君の紙の手を思い出す。スリスリ、サラサラと僕の頬を撫でてくれた優しい手を思い出す。
 今ある感触は、それよりも温かく、柔らかい。だけど、どちらも優しくて、僕は笑いながら、安心して目を閉じて、その感触に身を任せた。







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