INDEX
たったひとつ大切に想うもの
60

 家に帰って戸倉先生の話をしたら、祖父も祖母も諸手を挙げて賛成をした。
 一度も行くことのなかった今の大学は、休学が六ヶ月を迎える頃に、退学の手続きを取っていた。復学は無理だと判断してのことだった。戸倉先生の勧めてくれた大学には、改めて受験をすることになる。
 実家に帰ってきた当初は復学する気もあったから、家で勉強はしていた。途中から無理だと覚悟を決めた後も、何となく諦めきれなくて漫然としてではあるが、勉強は続けていた。何しろ時間だけはたっぷりあったから。進路が決まれば本格的に準備をすることになるが、たぶん今からでもギリギリ間に合うだろうというタイミングではあった。
 戸倉先生の卒業した大学は、数年前から僕のような聴覚障害を持つ人や、視覚障害、車いすを使う学生の為のサポートを始めていて、かなり充実しているといっていた。これからはどんどんそういった人に新しい可能性の場を作るべきだと力を注いでいるそうだ。早川先生もメンバーに所属しているらしい。そして、いずれ僕もサポートをする側に回れたらいいのではないかと考えてくれたのだ。
 小さな光はやがて無限の可能性となって、広がっていく。
 あとはどうやって僕がそこへ通うかだ。
 もともと社会への適応能力が育っていない上に、聞こえないというハンデを背負っている。また、そのハンデのキャリアもまだ半年足らずで、聞こえないということが、社会の中でどれほど不便なのかもよくわかっていないのだ。自立しながら学ぶということに不安があった。
 それについては東京から僕を送って、そのまま家に上がり込んだ波瀬さんが、自分が請け負うからと力説をして、祖父母はすっかりその気になってしまった。僕がいくら悪いからと反対をしても、「本人が大丈夫だと言っているんだからいいじゃないか」と、もう、僕を抜きにして、どの辺に引っ越そうかと相談を始めている。
 いや、まだ決めた訳じゃないし、第一合格しなきゃ話にならないだろうと笑っても、「陸なら大丈夫だ」と、馬鹿爺ぶりを発揮している。
 運転手を置き去りにして発進してしまった暴走車のように、終いには雪野さんまで参加して、僕抜きで僕の将来の展望を話し合い始め、呆れた僕は一人で部屋に上がり、四人の暴走は夜遅くまで続いた。







novellist