INDEX |
たったひとつ大切に想うもの |
61 |
結局受けるだけ受けてみて、合格してから考えようという話になり、そして僕は無事に合格した。己の勤勉さが恨めしいと思ってはみるが、合格はやはり嬉しかった。 前回と同じホテルに泊まり、受験会場に行ったのだが、前回と違うのは、上京する時に、祖父と祖母もついて来たことだ。もっとも、後で聞いた話だが、必ず合格すると確信していた二人は、僕が受験に挑んでいる間、大学に通いやすい物件を探し歩いていたらしい。 発表がある前に契約を済ませ、合格が決まるとすぐに上京の準備が進められ、僕は渓流下りのボートに乗ってしまった客のように、ただ流されるままに進むだけだった。 慣れるために早めに上京した方がいいということで、三月に入ったばかりの晴れた日、僕は祖父と祖母と雪野さんと四人で大学近くに借りたマンションに引っ越しをした。 先に届いていた荷物をほどき、四人で住みやすいように整えていく。 東京での新しい住まいは2LDKのマンションだった。十二畳ほどの明るいリビングの奥に一つ、玄関を入ってすぐの場所に一つ、独立した部屋がついていた。 荷物をほどいているうちに、あれ? と気が付いた。僕の荷物しか入っていない。僕抜きで勝手に進められた引っ越しに、半ば諦めて流されていたが、ここにきて疑問に思った。そういえば、今日は波瀬さんが来ていない。「波瀬さんは?」と聞くと、後で来ると言うから、その時に自分の荷物を持ってやってくるのかと思っていたら、彼は実に身軽な格好でやってきた。引っ越しをしてくるといった様子はない。 その日は何も訊けないまま、祖父と祖母が新居に一緒に泊まり、雪野さんは近くのホテルに泊まった。手伝いを終えた波瀬さんもどこかに帰って行った。どういうことなんだろう。 寝室にベッドが入っていたが、三人で布団をリビングに敷いて、川の字で寝る。初めてのことだった。 朝になって、祖母が僕たちの為にコーヒーを入れてくれているときに、雪野さんがやってきて、朝ご飯の支度をしてくれた。 簡単ではあるが、ちゃんとした朝ご飯を口にしながら、ついに我慢しきれなくなって、僕は口を開いた。 「波瀬さんは? ここに住むんじゃないの?」 祖父がゆっくりと口を動かした。 「俊彦くんは、陸の意志を尊重すると言っていたよ。陸が一人で自立をしたいなら、無理に一緒に住むことはしないで、出来る限り陸の自立の手伝いをしたいそうだ。だから、近くに越して来るけど、ここへは住まない。ただ、必要なときはいつでも呼んでくれと、毎日顔は出すと言っていたよ」 「そうなんだ」 なんとなく、あのまま押し切られて、波瀬さんはここへ強引にやってくるのだと思っていた。何度も一緒に住もうと誘われていて、僕はその度に言葉を濁した。最後まで承諾をしなかったのだ。それでも祖父たちが勝手に部屋を決めてしまっていたから、波瀬さんはもうここへ越して来ることを決めているのだと思っていた。 傷つけただろうか。僕があまりに固辞したから、それならもういいやって思ってしまっただろうか。 急に不安になった。現金なものだと思う。 波瀬さんの強引な親切を、戸惑いながらも受け取ることにいつの間にか慣れてしまっていて、最近は少し傲慢な態度になっていたかもしれない。波瀬さんだって人間だ。せっかく手伝うよ、一緒に住もうとあれだけ言ってくれていたのに、感謝もせずに突っぱねてしまっていれば、気分だって悪いだろう。悪いよ、いいからと言いながら、最後は一緒に住むものだと思い込んでしまっていた。 僕はまた、同じ間違いを繰り返してしまったんだろうか。 「陸、心配しなくても大丈夫だよ。俊彦君はちゃんと今まで通り、陸の側にいてくれるよ」 「……本当?」 もうすぐ来るはずだからと、祖父は笑って僕の不安を打ち消してくれた。 大丈夫だ。大丈夫。 ご飯を口に運びながら、自分に言い聞かせる。 僕だって去年の僕ではない。大事なものを失って、大切な事を学んだ。 もし、僕の態度が波瀬さんの気持ちを傷つけたのなら、素直に謝ろう。謝って、しばらくは本当に波瀬さんを頼りにしているから、どうか、助けて下さいとお願いをしよう。今度は距離を間違わないように、ちゃんと気をつけるから、だからお願いしますと言おう。 考えてみたらこれで良かったのかもしれない。 始めから一緒に住むのは気が進まなかったのだ。 こっちに来たら、嫌でもミキさんの存在を知らされる。 一緒に住んだら、ミキさんはここに遊びに来るだろうし、それに、波瀬さんだってミキさんの所へ行くことだってあるだろう。今日は彼女のところへ泊まってくるよ、なんて言われて部屋に一人でいる自分を想像する。仕方のないことだけれど、やっぱり少し胸が痛い。 元気になったら三人で遊べたらいいなんて夢想したこともあったけれど、実際の僕はこんなものだ。 一人暮らしだったら、波瀬さんのプライベートを見ずに済む。見たくなかった。 まる一年近く、波瀬さんを取ってしまった。東京で会っていただろうけど、週末や長い休みは僕が取ってしまっていた。悪いことをしたと本当に思っている。 大学が始まって、僕がこちらの生活に慣れて、一人で何でも出来るようになれば、波瀬さんも安心してミキさんの為だけに時間を使えるだろう。 この一年の間、なんとなく彼女のことは聞きそびれていた。波瀬さんもあえて話題にしなかったから、僕も便乗して聞かなかった。だけど、きっとうまくいっているんだろうということは分かる。 だって、波瀬さんは一度好きになった人は、すごく大事に、大事にする人だから。 だから、ミキさんも少しの期間、僕に波瀬さんとの時間を分けてくれたんだろう。 お似合いの二人だった。幸せになってくれるといい。 二つの矛盾した気持ちは、確かに同居している。 波瀬さんに幸せになってもらいたいけれど、その幸せをこの目で見たくないと言う気持ち。 ミキさんに感謝をしているし、彼女にも幸せになってもらいたいと思っている。波瀬さんはそれができるのを僕は知っている。 この気持ちは本心で、決して嘘じゃない。 だけど、二人の幸せに、僕の幸せは重ならないのだ。 だから、やはり波瀬さんと一緒に住むことにならなくて良かったのだと、自分に言い聞かせた。 |
novellist |