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たったひとつ大切に想うもの
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 大学に慣れていくうちに、合コンなるものに誘われるようになった。僕には縁のないものと思っていたが、履修クラスで親しくなった坂井君という人に「実は前から吉沢君を連れてこいって女の子たちに言われててさ」と声をかけられた。
「僕が行っても気を遣わせるだけだから」と断ってもそんなことはないと何度も誘われて、ある日、強引に連れていかれた。
「大丈夫だって。吉沢君ちゃんと話せるし、全然平気だよ」
 手を引っ張るようにして案内された店で、尚も遠慮している僕に坂井君は笑って「大丈夫だって」と請け負ってくれる。だいたいこんな場所も初めてで、ましてや知らない女の人たちとなんて話せないしと困惑していると「きっとそういうところがそそられるんだろうな」と坂井君に言われた。
「吉沢君さ、こう、守ってあげたいって言うか、放っておけない雰囲気があるじゃん。顔もきれいだし、あ、陸って呼んでもいい? ほら、名字だと他人行儀な感じするし、ね」
 他人なんですけど、と思いながらしぶしぶ承諾した。本当はあまり名前で呼ばれたくない。僕を名前で呼んでいいのは、ごく親しい人だけだ、と思ったけど言えなかった。
 十人ほどの人数が集まって、合コンが始まった。初めは僕に気を遣ってこちらを向いて話してくれた人たちも、時間が経つにつれて、てんでを向いて話し始めて、もうついて行けなかった。酔うと平衡感覚がおかしくなって怖いから、酒も飲まずにいる。あまり楽しいとは思えなかった。
 坂井君は僕を誘った手前、気を遣ってくれた。誰かが何かを言ってみんなで爆笑しているのを黙って微笑んだまま眺めている僕に、わざわざ通訳してくれる。時間差で笑うと一瞬場が白けた。それでも坂井君は同じ事を繰り返した。その度に微妙な空気が流れて、いたたまれない気持ちになるが、坂井君は構わず気を遣い続ける。放っておいて欲しいと思っても、言えるはずもない。
 仕方のないことだと思う。坂井君に悪気がないのも分かっている。
 耳の聞こえない可哀相な同級生を誘ってくれて、優しく気遣いながら、その優しさを周りに見せつけて、その度に僕がどんな気持ちになっているかまで、彼に分かってもらう必要はないのだ。
 来なければよかったと思っても、そんなことは顔に出さず、笑い顔を作りながらその場にじっと座っていた。僕にだってそれぐらいの処世術は身についている。笑顔の練習をしておいて良かったと思った。
 二次会はカラオケという話になって、さすがにそこまでは無理だろうと笑って帰ると告げた。僕に対する親切な態度で大分株を上げたらしい坂井君が、上機嫌で近くの駅まで送るよと言ってくれたのを断る。バスの時間は終わっていたが、何とかなるだろう。
「誘ってくれてありがとう。楽しかった」と礼を述べてみんなとは反対方向へ向かった。
 一人で電車には乗ったことがない。波瀬さんにメールをしようか、でも、そこまで迷惑はかけられないと思い直して、タクシーを拾う事にした。
 車に乗って住所を告げたら、前を向いたまま運転手が何かを言った。
「すみません。耳が聞こえないので。住所、わかりますか?」と言ったら、運転手は最初吃驚したように振り返って、それからバツが悪そうな顔をして前を向いた。車が静かに動いたから行ってくれるのかと納得して座席に背中を埋めた。ミラー越しに運転手がちらちらとこちらを見ているのがわかったが、何も言ってこないから、こちらも何も言わなかった。
 今日はあまりいい日じゃなかったな、と窓越しに外の風景を眺めた。
 人を拒絶して生きてきて、今更飛び込もうとしても、その距離感がまだうまくつかめない。
 確かに周りに助けてもらいながら生活出来ているのを頭で分かっていても、やはり「弱者」として扱われることに屈辱感がある。親切にされて感謝をしながら、余計なお世話だと思ってしまい、そんな自分の感情を持てあまし、自己嫌悪に陥っている。
 まだ宵の口だといわんばかりに外は明るく、たくさんのネオンが輝いている。僕とは関係のない明るさだった。







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