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たったひとつ大切に想うもの
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 タクシーの中で波瀬さんにメールをする。今日は友達と合コンへ行くと伝えてから、何度も「大丈夫か?」「迎えに行こうか?」と送られてきていた。「今、タクシーに乗ったから、これから帰ります」と打って携帯を閉じた。僕の保護者はほんとうに心配症だ。
 坂井君の親切と、波瀬さんの優しさとはどこが違うのだろうと考える。
 波瀬さんの優しさはまっすぐに僕に向かってくる。見返りも、お礼も求めない。多少強引な所があるが、決して押しつけがましいこともない。だから僕も、つい、気を許してしまうのだ。
 どうしてなんだろう。どうしてそこまで僕に優しくしてくれるんだろう。
 そこまで考えて、それ以上の思考をストップさせる。それ以上は考えてはいけない。
 ……けど、考えてしまうのだ。
 どうして、何故、もしかしたらと、自分に都合のいい想像をして、すぐさまそれを否定する。強い願望と、それを諫める気持ちがせめぎ合って苦しくなる。最近それが酷くなっているのを自覚していた。
 その度に、あの夜の駅での光景を思い出す。
 明るい照明の下で向かい合っていた恋人同士は、とてもお似合いだった。
 彼女を迎えに行ったのは、それが大事な人だからだった。
 僕に優しくしてくれるのは、僕が可哀相だからだ。
 二人の物語はどこまでいっても、やっぱり二人だけのもので、僕はただ、観客として観ているしかない。
 そろそろ僕は、本当に波瀬さんのもとから離れなければいけないんじゃないかなと思う。
 このままでいることに、つらさを感じ始めていた。求めてはいけないと言い聞かせることも、もう限界に来ていた。
 甘えないように、寄りかかりすぎないようにと言い聞かせながら、一人で出来るからと波瀬さんとの距離を無理に取り、そうしながら波瀬さんが今、誰とどうしているのだろうと考えてしまう。呼べばすぐに来てくれる距離にいて、でももし今、あの人と一緒に居たらと思うと怖くて呼び出すことが出来ない。
 遠く、離れていた時は、諦めることが出来た。だけど今は、すぐ近くにいると思うからこそ、想像がリアルになる。
 波瀬さんを解放してあげよう。波瀬さんのためにも、というより、僕自身がもう耐えられそうにない。
 車を降りたら、部屋の前に波瀬さんが立っていた。
 鍵を渡してあるのに、僕が帰るとメールをしてからずっと待っていてくれたみたいだ。僕の顔を見ると、ほっとしたように笑って「おかえり」と言った。
 今、解放しようと決心したところなのに、来るんだもんなと思って、憮然としてしまった。
「陸、大丈夫だったか?」
 何が? と思う。僕は平気だ。
「平気だ」
 短く答えたら、波瀬さんが急に笑った。何で笑うんだろう。
「何かあったのか?」
「何も。なんで?」
「陸が自分で『平気だ』って言うときは、大概平気じゃないときだから」
「そんなの……」
「何か言われたのか?」
「別に、何も言われてないっ!」
 波瀬さんの笑顔が大きくなって、僕はますますむかむかしてきた。
「何で笑ってんの? 波瀬さんなんか、波瀬さんなんか……」
 僕の気持ちなんか全然わかってないくせに。そんな笑っても、僕に優しくしてくれても、僕よりももっと好きな人がいるくせに。
 そんな優しさなら、いっそいらない。
 言い返したくて、言い返すことが出来なくて、今度は急に悲しくなった。今までの怒りが急速に萎えていく。
「……ごめんなさい。波瀬さんに当たることじゃなかった」
 波瀬さんの顔が今度は曇った。
「本当に、どうした?」
「ちょっと、初めてのことに戸惑って。うまく楽しめなくて……。でも、みんな親切にしてくれて。だから本当に平気。疲れただけ」
「そうか」とだけ言って、波瀬さんはいたわるように僕の頭を撫でてくれた。お礼を言って部屋に入る僕を黙って見送ってくれる。せっかく遅い時間に来てくれたのに悪いと思ったから「上がる?」と聞いたけど、波瀬さんは「いや、止めておく」と言って笑って帰って行った。
 悪いことをしてしまった。明日からは、もう少し僕も大人になろう。







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