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たったひとつ大切に想うもの
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 それから僕の持っていた荷物を受け取って、一緒に夕飯を食べようと誘われた。インスタントのラーメンと、総菜売り場にあった唐揚げを買ってきていた。唐揚げは一人分しか買っていなかったけど、ラーメンを作る間に、冷蔵庫に残っていたご飯で手早くチャーハンも作ってくれて、二人で食べた。僕よりも一人暮らしのキャリアが長い波瀬さんの料理は簡単でも美味しかった。
 ゆっくりと夕食を食べて、並んで片付けをした。食後のお茶は僕が用意して、それを飲み終わったらもう、引き留める口実がなくなってしまった。お酒でも飲めればもう少し一緒にいられるんだろうけど、僕はアルコールが飲めない。酔うと三半規管が揺れて、気持ち悪くなってしまうのだ。
 夕方のショックは大分和らいでいたし、顔の傷も触るとまだ少しズキズキしたけれど、たいしたこともない。ちょっと怖いからと言って波瀬さんを引き留めるわけにはいかない。彼だって自分の生活がある。今日、こうして来てくれただけで感謝をしなくてはいけないのだ。
 だけど、本音はもう少し一緒にいたかった。恐怖が全てなくなったとは言えなかったし、部屋で波瀬さんが僕を待っていてくれたと気が付いたとき、びっくりしたけど、すごく嬉しかったから。
「陸、今日、泊まっていってもいいか?」
 波瀬さんが僕の気持ちを見透かしたように聞いてきた。
「え……でも、明日、学校とか……」
「歩いてすぐなんだから平気だよ」
 遠慮する僕に波瀬さんは明るく笑ってそう言った。
「だいたい、昔は俺が朝練があるからって言っても、そのままいけばいいじゃんってきかなかったくせに」
 それは……そうだけど。
「な? 泊めてくれよ、陸」
 昔の事を持ち出されて、気軽に言われて、あまりこちらが気にするのも変な話だと思って頷いた。もちろん、とても嬉しい誘いだった。
 祖父たちが使った布団がそのまま押し入れの中にある。僕のベッドはシングルで、まさか、大の男二人が寝るスペースはなかった。二人で布団を出して、新しいシーツを広げ、僕のベッドのすぐ下に用意をした。交代で風呂を使い、着替えを用意していなかった波瀬さんは、Tシャツと下着だけの格好で布団に潜った。
 部屋の明かりを小さく点けたまま、お互いの布団に潜る。真っ暗にしてしまうと、波瀬さんの声が見えない。
 子供の頃は広めのベッドの上で子犬のように折り重なって寝ていた。
 今、それは出来ないけれど、まるでその頃に戻ったような気持ちになって少し興奮した。楽しかった。
 眠気がきて波瀬さんが寝てしまうまで話がしたくて、僕はベッドの端ギリギリに身を寄せて、波瀬さんの近くにいったら、波瀬さんも敷いた布団をもう一度動かして、僕のすぐ側まで来てくれた。
 ベッドの上から見下ろすと、波瀬さんが見上げてきて微笑んでくれる。
 差し出された手が僕の布団をチョイチョイっと引っ張って、僕は自然に手を伸ばした。
 大きな優しい手に触れて、その指先をきゅっと握った。凄く幸せな気分になった。
 見つめる唇がゆっくりと動く。
「今日は……ちょっと怖かったな」
「うん……ちょっと怖かった」
 昔に戻ったように素直に返事をする。
「嫌なこと……思い出して。でも、もう平気」
「そうか」
「うん。波瀬さんが来てくれてよかった。ありがとう」
「りく……」
 握っていた指を包み返されて、優しく引かれた。
 波瀬さんは体をずらして布団をめくり、また腕を引いた。こっちへおいでという合図だ。
 僕は腕を引かれたまま、小さく首を横に振る。
 波瀬さんが弱く笑って、僕を見た。
「陸、何もしないよ。一緒に寝るだけだ。怖いことも、嫌なこともないよ」
 優しい顔をして僕を誘う顔を見ながら、僕は尚も首を振る。
 うん、知っているよ。
 波瀬さんは子供の時のように、一緒に眠ろうと誘ってくれているだけだ。子犬のように、ただ体をくっつけあってお互いの体温を感じながら眠るだけだ。
 だけど僕はもうそこへはいけない。
 だってそこは、僕の場所じゃないから。






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