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たったひとつ大切に想うもの |
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薄明かりの下で、波瀬さんがじっと僕を見ている。 何もしないよと言っているのに、するはずもないのに、何を意識しているのかと思われただろうか。 引かれた手をそっと外して、自分の布団の中に隠した。 「狭いから……暑いし」 僕の言い訳に波瀬さんが笑って「また陸に振られた」と言った。 「ふ……振られた、なんて……違うから」 軽い冗談なんだろうけど、人の気も知らないでと、むかっときた。布団を被り、目だけを出して睨んだ。 「一緒に住もうって言ったのに振られた。俺の部屋に来いよって言ったのに振られた。それから、一緒に寝ようよって言ったのに振られた」 波瀬さんがおかしそうに言う。 「振られてばっかりだ。寂しいな」 仰向けになって、頭の後ろで腕を組んだ波瀬さんが、笑ってからかうように僕を見るから、ちょっと、本当に腹が立ってきた。 僕がどんな気持ちで距離を置いているか、線を引いているのか知らないくせに、「寂しい」などと、簡単に言って欲しくなかった。 ずっと寂しかったのは僕の方なのに。 「そんなの……寂しかったらあの人の所へ行けばいいじゃないか」 そうだよ。寂しいのならあの人に会えばいい。呼び出して、迎えに行って、一緒の布団で一緒に寝ればいいじゃないか。同じ大学だし、いつだって会えているじゃないか。 「りく?」 波瀬さんが体を起こして僕の方を見た。 泊めてくれって言ったのは波瀬さんなのに、寂しいからって僕をあの人の代わりにしないで欲しい。 「そ……そんなに、一人で寝るのが、寂しいんだったら……帰って、あの人……ミキさん、と一緒にいればいい。いつかみたいに迎えに行けばいいよ。僕、もう、平気……だから」 そこまで言って、布団をすっぽり被ろうとしたのを押さえられた。顔を覗き込まれるのがいたたまれなくてギュッと目を閉じた。 せっかく心配してきてくれて、こうして一緒にいてくれているのに、八つ当たりだ。 だけど、無神経な波瀬さんの言葉に傷ついていた。 どうしたって元には戻れないのに、必死に距離を保とうとしているのに、波瀬さんは踏み込もうとしてくる。大切な人を胸に抱えたまま。 波瀬さんは子供の頃に戻ったと思っていても、僕にはそれが出来ないんだ。じゃれ合って、無邪気にもつれ合って眠ることなど出来ないのに、波瀬さんはそこへ戻ろうとする。それがどんなに僕にとってつらいことなのか分かってはもらえないのだ。 「陸?」 額に波瀬さんの息が掛かって僕を呼んでいるのが分かったが、目を開けなかった。 闇と沈黙の中に隠れてしまいたかったけれど、波瀬さんはそれを許してくれなかった。 頬を何度も突かれて、肩を揺さぶられる。 寝てしまいたくてもそれも出来ない。僕が目を開けるまでずっと続きそうなその行為に根負けして、そっと目を開けた。 目の前には、怖いくらいに真剣な波瀬さんの顔があった。 「陸……覚えているのか?」 何のことをさして言っているのかが分からなくて、じっと見つめていたら、波瀬さんの顔が今まで見たどれよりも悲しそうに歪んだ。 |
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