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たったひとつ大切に想うもの
7

 学校の帰り、当然のように俊彦を待って一緒に帰った。俊彦は俺の家のすぐ近くに住んでいる。親父さんがじじいの運転手だから呼び出されればいつでも行けるように待機している。
 年を取ったじじいは前ほどあちこちに出かけなくなった。俊彦の親父さんはそれでも家の運転手をしている。ばばあのどうでもいい買い物の御供とか。最近はばばあを手伝って庭の手入れなんかもしている。
 じじいは俊彦に期待を寄せている。親父さんが働けなくなっても俊彦の大学や就職の面倒はちゃんと見ると請け負っているらしい。 
 俊彦ぐらい優秀な奴なら当然だろう。俺なんかより、俊彦がじじいの跡を継いだ方が絶対にいいと周りも思っている。俺だってそう思う。俊彦と親父さんだけが、「いや、陸君の補佐が分相応です」なんて固辞しているらしいけど。
 俺はどっちでも構わない。俊彦が俺の補佐をしたいならそれでいいし、自分がのし上がりたいならそれでいい。俺から離れなければそれでいい。それ以外は何も望んでいないし、何も欲しくない。
 どっちみち俺はじじいの言うとおりの人生を歩むつもりはない。ある程度の生活能力を身につけたら出て行くつもりだ。頭が多少優秀でも、俺に人望がないことはじじいだって分かっている。
 高校を卒業してすぐに飛び出すなんて、俺を生んだバカ女のような真似はしないつもりだ。一人でちゃんと生きていけるだけの物を身につけて、用意周到にしてから出て行く。
 じじいは嫌いだけど、一応俺を引き取ってくれた恩はあるから、じじいの思う通りじゃなくても、少なくとも納得できる仕事は見つけるつもりだ。俺だって馬鹿じゃない。
 その時に俊彦が俺にそのまま付いてくるか、じじいにつくか、それは俊彦が決めることだ。どっちに決めても実質的に俺から離れなければそれでいい。
「今日、揉めたんだって? 最近大人しかったのに、珍しいな」
「別に。無視してもしつこいからちょっと言い返しただけだよ」
 どうせ小野寺洋子が忠言したのだろう。中等部の生徒会役員をしているから、よく俊彦と話をするみたいだ。
「あのグループは知っている。三年になって、進学のこともあるし、イライラしているんだろう。あんまりむきになって関わるな。自棄になるとちょっと面倒だ」
 俺らの通っている学校は中高一貫だけど、完全なエスカレーターではない。中学は義務教育だけど、高校に上がるとき、あまりにも成績が悪いと、呼び出されて別の学校への進学を進言されたりする。外部からの受験も受け入れている高等部は、大学進学率がほぼ百パーセントという、文字通りの進学校になるから、ついていくのが大変になるのだ。無理して背伸びをして入ったものの、やっぱり馬鹿はそれなりの場所へ行きなさいという、優しい心遣いをしているのだ。それなのに、そんな配慮を受け入れられずに周りに八つ当たりをしている、頭の悪い連中だ。
「逆恨みっていうのもあるし、そうじゃなくても陸は敵を作りやすいから、注意しろよ」
「別に、あんな奴ら全然怖くない」
「それでも、人の悪意っていうのは時々とんでもない方向へいくから、な?」
 心配だからと諭されると勝気な言動もなりを潜めてしまう。「わかった」と一応殊勝に頷いたら、安心したように俊彦が笑った。
 睾丸脳みそ連中が俺と俊彦のことを揶揄したのは本当じゃない。
 俺は俊彦と別に恋人同士なわけじゃない。出会った時からの俺の世話係で、家庭教師で、家来だ。俊彦を側に付けておけば、俺が比較的穏やかでいられるから、周りがそうしているだけだ。俊彦自身もそうすることに疑問を持っていないのだから人にからかわれる筋合いなどないのだ。
 回数は減ったけど、未だに泊まってけって言えば俊彦は家に泊まっていく。二人とも体が大きくなってしまったから、一つのベッドに寝ると少し狭いが、体をくっつけあって眠るのは気持ちがいい。だからといってそれ以上の衝動が起こることもないし、あいつらの言っていたテクだのなんだのということだってあり得ない。
 俊彦だってそれは同じだ。
 周りの連中は誰の胸が大きいだの、誰と誰がホテルに入ったのを見ただのと、そんなことばかりを話している。馬鹿らしいと思う。教室に変な雑誌を持ち込んで、みんなで回し読みをしながら喜んでいるのを見ると吐き気がする。ちらっと覗いた写真の醜悪さに、何でみんなあんな汚いものを見て興奮するのかが分からなかった。
 前の家政婦が俺の母親は淫乱だったと言った。俺にも同じ血が流れているのかと思うとぞっとする。だけど、幸いにもそれは受け継がなかったらしい。俺は淫乱じゃない。これからも絶対にそうはならない。
「な、今日は家に泊まってけよ。明日休みだし」
「明日は部活がある」
「でも、朝練はないだろ? 数学教えてよ。試験近いし」
「俺が教えなくても、もう解けるだろう?」
「そんなことないよ。なあ、雪野にプリン作らせるから。俊彦好きだろ、雪野のプリン」
 しつこく誘ったら俊彦は小さく溜息をついて、諦めたように笑った。
「プリンを食べたいのは陸の方だろう……わかった。着替えてから行くよ」
 俺が押し切る形で話をつけた。いつものことだ。俊彦は絶対に最後には俺の望んだとおりにしてくれる。
 納得して笑った顔が、少し困惑したように眼を細めて俺を見つめたが、気がつかない振りをした。
 きっと明日の部活のことを考えて、ちょっと困ったのかなと思ったけど、俊彦なら別に大丈夫だろう。






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